2.341回例会  2004.11.26(金)  No.2232

司会 原 亙SAA
出席報告 本日75.00% 14名欠席 前回訂正78.57% 12名欠席
ラッキーナンバー No. 19 増澤洋太郎君
ニコニコボックス 小池保二君 結婚記念日にお花をいただきありがとうございました。濱和彦君 連続欠席をし、委員会の方に大変迷惑をかけて申訳ございません。増澤洋太郎君 ラッキーNoに当たって。

会長告知 増澤洋太郎会長 先週18日はボジョレーヌーボーが解禁となりました。私は酒が大好きで、ビールと焼酎党ですが、解禁日にボジョレーヌーボーを楽しむ夕べにご招待いただき、ワインを頂戴しました。毎年11月の第三木曜日に解禁となりますが、日付変更線の関係上、最も早く解禁日が来るのが日本です。ボジョレー地区でワインのできるのが、毎年11月11日頃で、この日は聖マルタンの聖人の日で、縁起の良いこの日に新酒を祝おうと以前は11日が解禁日でした。ところが、11日が無名戦士の日に変更となった為、聖マルタンの日に一番近い別の聖人の日・聖アルベールの日・15日に解禁日を移しました。しかしながら、しばしば土日曜日と重なり、新酒の出荷日程や売行きに影響が出てしまうので、フランス政府が1984年に第三木曜日へと変更しました。ボジョレーヌーボーはフランスのリオンから1時間ほどのワイン造りが盛んな丘陵地・ボジョレー地方の「ボジョレー」「ボジョレー・ヴィラージュ」と言う銘柄の新酒だけが「ボジョレーヌーボー」と呼ばれるワインになるそうです。仕込みから僅か2ヶ月足らずで発売されるもので、ガメイ種を使用することが法律で決まっています。決して高価なワインではなく、ワイン通にとっては「おいしい」と言えるものではないとの評価もあるようですが、渋みが少なく、軽めの赤ワインなので、チキンやビーフの他シーフード等にもマッチします。値段も気軽に楽しむことができるワインですので、季節を感じる風物詩としてなくてはならないものと言う位置づけにあるワインのようです。

幹事報告 朝倉英仁幹事 特にありませんが、当日の欠席連絡は、厨房が準備に入る前、午前10時前までにお願いします。

委員会報告 濱和彦親睦委員長 12月17日に忘年例会を予定しています。ハガキでご案内しますので、9日までに回答をお願いします。ジャンティンさん(納涼例会で演奏)の琵琶リサイタルが4月9日(土)東京・津田ホールで開かれます。よろしくお願いします。

クラブフォーラム 安川英昭クラブ親善委員長 秦野RCとの姉妹クラブ締結の調印は1985年5月24日、上原嘉造会長の時でした。1984年10月25日に諏訪市と秦野市が姉妹都市を結びました。前年に秦野市が行った姉妹都市締結に関する住民アンケートで諏訪市が1位、伊東市が2位でした。毎年9月のタバコ祭りに訪問交流を行っていますが、昨年は11名が参加しました。瀬戸RCとの友好クラブ提携は1987年11月20日、中原菊雄会長の時に調印しました。以降、周年行事に相互訪問していますが、1999年の親善、親睦の家族バスハイクには56名が参加しました。今年の御柱例会では、5月9日に秦野RCから22名が一泊で、瀬戸RCからは13名が日帰りで参加しました。韓国ソウルの寛勲RCとの調印式は4月27日行われ、森幸俊会長ら8名が参加し、調印にのぞみました。7月30日には寛勲から36名(RC会員21名)が諏訪を訪れました。来年4月に寛勲RCを公式訪問し、6月4、5日には瀬戸RCを訪問するバスハイクを予定しています。愛知世界博、中部新空港を視察します。中部新空港は2月半ば位まではタラップの近くまで行けるようですが、6月はゲートに入ることはできないようです。国際線、国内線が同じ建物なので乗り換えが便利になっています。海外のRCとのメークアップを約20ヶ所で行ってきました。香港では1時からの例会で集まってきたのは2時でした。ジャカルタのRCは外国人の駐在員で構成されていました。上海ではバナーの交換でした。フィリピン・ケソン地区のRCは会長の人柄もあり、始めから終わりまで大笑いの例会でした。ロサンゼルスのガーデナーは日系人が多く住んでおり、日本語が半数位通じました。また、婦人会員が半数以上のRCもありました。ラスベガスでは、ゴルフ場のクラブハウスが例会場で、真面目な会でした。ハワイのコナでは会場が日本食堂で、名前もひらがなの日本名で、1/3が日系人でした。リオデジャネイロは、ブエノスアイレスの世界大会の時に訪問しました。サンフランシスコの近くオークランドでは、日系人が大勢いて歓迎してくれました。ベルリンでは、ブランデンブルグ門の近くにあり、昼食に1時間、例会に1時間かけていました。フィンランドはヘルシンキのすぐ近くで、丁寧な例会でした。エストニアもほとんどが外国人専用のRCでした。イタリアでは夜間例会でした。景気が良いと言うことで、皆元気がありました。コーディネイターがいて、従業員数20名ほどの小企業の集団で、分業して大変利益を出しているようです。スペインのマジョルカ島ではRCをあと何年維持できるかわからないと言う深刻な話をしていました。台北は全部日本語で通じました。サンフランシスコのチャイナタウンにあるRCは中国人ばかりかと思っていましたら日系人も白人も入っているインターナショナルという名前のクラブでした。いずれも国民性が出ていたり、特長のある運営をしていました。これからは中国にもRCがだいぶできるのではないでしょうか。上海のRCは外国人でしたが、中国人だけのRCもできれば、ユニ−クなRCになるのではないかと楽しみにしています。



慈愛の種を播きましょう


     


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