2.301回例会 2004.1.30(金) No.2192 |
司会 有賀昭彦SAA ゲスト・ビジター 宮坂清八劔神社・手長神社宮司 出席報告 本日83.93% 9名欠席 前回訂正92.86% 4名欠席 ラッキーナンバー No. 12 小林恭一会員 ニコニコボックス 小林恭一会員2月3日善光寺の豆まきに招かれ年男の厄を払って参ります。新村良雄会員二年連続の御神渡り喜ばしい限りです。増澤洋太郎会員1.八劔神社宮坂宮司さんをお迎えし二年間大変お世話になりました。2.欠席がちで申し訳ありません。藤森省作会員宮坂宮司様ようこそ二年続きのお神渡りおめでとうございます。お話を楽しみにしております。小口武男会員宮坂宮司をお迎えして御柱の話を楽しみにしております。 会長告知 森幸俊会長 昨日はお神渡りが出来たとのことは皆さん知っていると思いますが翌日お神渡りの話を例会でと非常にタイムリーです。その様な時ですので諏訪大社に関係の深い梶の葉について述べてみます。4年位前清陵の先生より梶の木を庭に植え現在御柱風に云えば、目通り35センチはあります。諏訪神社春宮にも植えてあります。大社の家紋と云うか神紋は梶の葉でありますが、何でなったかと云いますと、1180年代鎌倉時代の東鏡のなかに源氏の旗上げの際3日3晩戦勝祈願をした大祝が梶の葉を着た勇者が出てきた、じ来現人神と云われている大祝が梶の葉の服を着ていたと云われています。なお上社下社は若干違い、上社は梶の根の部分が4本下社は5本です。江戸時代に独立して経営していたため違えたらしいです。諏訪清陵高校、諏訪二葉高校が梶の葉を校章に制定したのは昭和23年新制高校になってからと云われています。梶の葉は諏訪の人には親しまれています。また御柱例会には姉妹RCが諏訪に来ます。歓迎してやろうと思いますよろしくお願いします。 幹事報告 藤森和敏幹事 5月9日瀬戸・秦野両RCを招待しています。例会になる可能性があります。下社の二日目です。 卓話 宮坂清宮司 梶の葉のことは良くお調べになったなあと感心しました。高島藩と大祝家では紋は違った。お神渡りは平安時代末期より歌人に詠まれ「すわの湖の氷の上かよい路は神のわたりとおくりなりけり」昔から神が渡った跡であるとの信仰の対象になった。今年はよく出来たなと思いました。上諏訪より下諏訪の承知川の方が亀裂が大きかった。神渡りは自然現象ではありますが、諏訪の人達は、自然を超えた不思議なもの、神かもしれない、竜かもしれないと感じていた。だからただ拝観するだけではなく昔は6日間今は3日間精進生活をします。御柱の抽選の話をします。いよいよ2月15日抽選日3月18日伐採となります。申年には申の日に始めるならわしです江戸時代までは県内あげて負担していた。明治以降は郡民が協力して負担した。当時は四賀豊田は下社の御柱を曵いた。明治23年頃から下社は協議して御柱担当を決めましたが上社は抽選であった。戦前までは、村長さんがその担当であったが、戦後は各地区の大総代になった。抽選担当は一の柱を選びたいため精進生活をし、その任にあたります。一があたれば、四を引く人もいます。大変な重圧だと思います。抽選にウラはありません。抽選は三回「席順」「順番くじ」「本くじ」、くじを皆に見せ、TVもアップにしたなかではごまかせません。御柱には、御柱をひくと云うことと、宝殿を造替え遷宮すると二つのことをするですから御柱祭と云わず造営と云っていた。御柱の魅力は、引っぱってみれば分かる。そしてだれもが主役です縄を通じいて知らない人間が、だれでも心通じあえるんです。諏訪人にとって大きなイベントです。 |