@古屋了君(02年3月1日入会)
7年前に故遠藤智義会員の紹介で入会。遠藤さんは私の家族の恩人。遠藤・山崎・小林諸先輩から教わって感銘を受けていることは「人には誰でも良いところがある。それを見つけて認めて励まして行ける自分に成長することが一番大事な人生の目的である。」RC活動を通じてそのような人間に成長して行きたい。
A小飼康平君(68年7月1日入会)
三井さん、太田さん等10名の方々と一緒に入会した。所属は親睦委員会。入会翌年2月には当時の会長宮坂勝さん、小口杢太郎さん、宮坂宏光さん、今井辰五郎さん計5名と千葉のゴルフ場へ電車で行った。凄い風でバンカーの砂も無く、ショートホールも球が届かず何打も叩いた。71年諏訪で360地区大会があったときのことですが、ヘビースモーカーの寺島先生に「煙草を吸っている時以外は居眠りしていますね。」と言ったら「バカヤロー」と叱られたことも良い思い出です。
B細川昭八君(73年7月1日入会)
40歳で入会。この年は第一次オイルショックの年。通産次官山下氏がインタビューで原因を聞かれて、本当はOPECと言いたかったが「石油産業」と答えてしまい、インタビューが終わって見ると石油業界は世間の悪者となってしまった。今回の暫定税率の問題も、石油の出荷時に税金がかかるので高い税率の在庫を5月1日から安売りすることになったが値上げの際は便乗値上げと叩かれた。ロータリーの職業倫理にもあるとおり石油業界は決して悪い業界ではございません。
C中島伸一君(79年4月1日入会)
入会当初、親睦委員会を担当。長野での地区大会の際、太田さんの会社からカラオケ装置を借用し、車で会場へ運び楽しんだ。また、帰りには寺島先生とお寺参りに立ち寄る等当時の活動は手作りで先輩や若いメンバーが積極的に参加する雰囲気があった。
D森幸俊君(85年4月5日入会)
入会前、藤原会員から突然の訪問を受け事業等の話しをした。当時は、RC入会候補者に必ず選考委員長が会いに行ったものだった。当時の例会は、役員が前に居並んでおり、緊張した面持ちで参加した。幹事の三井さんは、蝶ネクタイを締め会場入口で正面に最敬礼して入場していた。入会して直ぐに豊橋で地区大会があり、バスによる歌舞伎見学の一泊旅行となった。その時のテーマは「あなたがキーです」。500円で購入したテレホンカードが今記念品となっている。
E藤森貞雄君(86年4月11日入会)
86年に入会したが、それ以前の75年頃から3年間JC時代にRCから援助金を頂くなどで縁があった。RCは錚々たる方々がメンバーであった。歌もJCはカセットテープだがRCは女性のエレクトーン生演奏によりロータリーソングを歌っていた。とても入れる会ではないとお断りをしていたが縁があって入会した。RC入会時は初め出席委員会、それから会報委員会を3年担当し大変だったが、それまでは幹事が書いていたと聞きエライところだと思った。皆様との親交を深めこれまでやってきました。
F濱和彦君(94年7月22日入会)
故遠藤会員と中島会員の紹介によりRCとはどんなところかも分からずに入会した。「12時半に会場へ来い。」と言われ10分前に到着した。既に食事が用意されていたが誰も食べておらず変だなと思った。会長は山崎壯一会員、幹事は藤森郁男会員であった。その時「先に立つ者は長くいてはいけない。」「情報を取るためにジャーナリスト、人生のために宗教家、健康のために医者が必要。」と言う良い話を聞いた。be a friend(友だちになろう)がテーマだった。18番のカードでラッキーナンバーに当ったがニコニコボックスと四角い箱の寄付と間違えて「入れた」と言ってしまったり、遠藤さんから紹介を受けて話し出したら「話しが長い!」と叱られたのが失敗談です。当時の仲間は現在20数人しかいないが、RCに入って楽しいこと等沢山の事を教えられた。
G平林明君(96年9月20日入会)
入会から5年間位一番年齢が下だった。やっと若い人が何人か入って来て威張れると思ったが来年度は幹事となり、またお願いする事になる。親睦委員会担当でいろいろな方々とお会いしたが、親しくしていた方々がRCを去っていくのが非常に寂しかった。是非、皆様RCを続けて頂き、来年も宜しくお願いします。