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2485回例会 2008.01.25(金)No.2377


司会 増澤洋太郎SAA
出席報告 本日81.40% 15名欠席 前回訂正81.63% 10名欠席
ラッキーナンバー NO.28 三井章義君
ニコニコボックス
山崎晃君  安川GEお疲れ様でした。
小口武男君 茅野工場の太陽光発電が今月末稼動を始めます。
藤森省作君 安川GE無事任務を終えられお帰り頂、おめでとうございます。又、来年のテーマ「夢をかたちに」の葉書を頂きましてありがとうございました。
安川英昭君 サンディエゴでの国際協議会で勉強してきました。出発の折壮行会を開いて頂きありがとうございました。
太田信夫君・小松茂君・細川昭八君・山崎壯一君 安川さん無事お帰りご苦労様でした。
森幸俊君・小林恭一君・藤森和敏君・河西正一君・長田司君・八幡一成君(安川GE事務所スタッフ)安川GE国際協議会ご出席お疲れ様でした。お元気な帰国おめでとうございます。
藤森貞雄君・小飼康平君 安川様ご苦労様です。
増澤洋太郎君 今朝会社の外気温マイナス16度、久しぶりの大幅マイナスに驚きました。
折井正明君 ITの情報セキュリティーとオフィスの入退出やパーキング管理等の物理セキュリティーを統合管理するシステムを当RC会員の大手企業様複数社を含み受注しました。
玉本広人君 本日早退させていただきます。
三井章義君 ラッキーナンバーに当たって。

会長告知 山崎晃会長
 私は、採用面接試験の為昨年の真冬1月ハルピンへ行きました。5回目ですが冬は初めてです。昔満鉄の要所駅、ロシア風の建物がある綺麗な町、日本の百貨店松浦洋行が1909年出店した建物もあります。ロシア人観光客も多いです。到着の夜は、氷のかまくらで火鍋を囲みハルピンビールを美味しく飲みました。
 翌朝6時頃の散歩は、−23度の中、昨年は暖冬で平年は−30〜−35度と現地の人は言います。防寒支度をして歩きますが、鼻毛に息が掛り凍り、眼鏡も曇り凍ります。早朝5時位から中年の人が大勢散歩をしていました。また、寒中水泳もしていました。氷の彫刻に触れると水っぽくなく、サラサラしていました。人間は環境に慣れるものだと感じました。ホームレスを一人見ました。
 全面結氷する松花江と言う大きな川沿いの石畳の公園道歩くとエンカル撒いた様な点々と薄黒い斑点があります。多分人々が唾かガムをはき黒くなっているのではと思いました。上海でも見かけましたが最近は少なくなっています。これは、雨で洗われると綺麗になる様です。上海の繁華街の徐家公園に良く行きますがビニール袋を持参して使う人を見ました。生活のレベルが上がると環境に留意する人が増えるのだと思いました。2010年の万博までに綺麗にしようとの運動が有るらしい。以前2002年頃中国でSARSが大流行したのも唾吐きと関係あるのではないかと思いました。

幹事報告 小口武男幹事
@上原嘉造会員退会承認
A次年度理事の変更等2月第二週に発表
B米山奨学金寄付金控除申告について
CRCレート108円

クラブフォーラム
安川英昭GE
 無事帰ってきました。
 一週間、朝9時〜4時位まで勉強して来ました。午前中は、会長や会長エレクト他からの講演、午後はその講演内容について分科会で討議しました。メモを取らなくても大丈夫と言われ、取らなくて失敗しました。参加者全員が卒業と言われました。しかし、一名は、胆石の手術後でありながら参加し、胆のう炎になり現地で手術することになって帰着が一週間遅れることになりました。それ以外は、全員無事帰ってきました。道具や講演集等は、ガバナー事務所にありますので見ていただけるようにしたいと思います。簡単では有りますが報告に変えさせていただきます。ありがとうございました。
細川昭八ロータリー情報委員長
 ロータリー理解推進月間、ロータリーの歴史について三井PGより説明を頂く。ロータリーの友11月号「ロータリーの発足と漱石の職業観の相似」記事でポール・ハリスが昭和10年来日し、何故ロータリーを作ったかとの質問に「寂しかったから」と答えた。親睦を阻害されないように1業種1人制とした。1905年に4人で始めたクラブが100年の歴史と200カ国32,943クラブ、1,224,168会員にまでに拡大したのは何故かご説明を頂く。
三井章義PG
 現在のロータリーは100年の長い歴史と実績の積重ね。昔から今の様だったかと錯覚するが特に初期は試練が多かった。RCは、1905年青年弁護士P・ハリスによりシカゴで誕生した。当時シカゴは、社会の倫理観が薄れ、貧困・迫害・詐欺・泥棒が横行していた。ビジネスでは過酷な自由競争下で商売で生き残っていく為のビジネスクラブが多数存在した。ライオンズもその一つ。その中で奉仕の精神があるクラブが残った。
 普通の階層の人々、実業家、専門職業人が中心となり社会の有益な分子が集まりロータリーが出来た。定期的会合、1業種1人で助け合う精神を最初に決めた。
 例会は、2週間に1回。初期には定款は無かった。シカゴクラブにて1906年1月定款が作成された。第1条互恵主義、第2条親睦、会員間は原価で取引し多大な利潤を上げた。
 ドナルド・カーターが職業を通じて社会に貢献する必要性を提唱。1907年定款を改正し、第3条地域貢献(奉仕の精神)を制定した。第3回会合でロータリーの名称、組織役割、会員資格等を決定。初代会長はシルベスター・シール。
 5人目の会員ハリー・ラグルスによりロータリーで歌を歌う様になる。第7回会合でシカゴクラブが初めての食事会。毎週例会で昼食を始めたのは1909年カリフォルニア州オークランド。ある会員が昼食を取っていた為に会合に遅れたことが発端だ。
 1907年から10年親睦か奉仕か大論争が続いた。1908年フレデリック・シェルドンが「ロータリーの哲学」を発表。殆どの会員が奉仕の哲学採用に反対。当時シカゴクラブ会長のP・ハリスが会長職を辞任する事件にまで発展し漸く採用することとなる。
 本日は奉仕の精神の採用までをお話しして終えることとしたい。


慈愛の種を播きましょう




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