委員会報告
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ローターアクト 高橋正司委員長
以前からローターアクトの創立30周年記念の出欠の回覧を回すのですが、登録料の振り込みは6月3日までに徴収して6月5日に振り込
みます。登録される方は出来れば次の例会までに事務局、もしくは私まで登録料をお願い致します。内容につきましては、場所はぬのはん
さん、時間は先ず例会登録開始が15時30分から、例会開始が16時から、懇親会が18時からになっております。登録料が記念例会の
みの方が1,500円、懇親会のみの方が5,000円、両方参加の方が6,500円となっております。ぜひ多くの方に出席頂きたいと
思います。ローターアクトの会長に協力する事はあるかと確認したところ一人でも多くの方出席してほしいとのことです。 |
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社会奉仕委員会 小口寿夫副委員長
日赤病院祭のパンフを配布しました。企画は例年と同じですが、加えて震災のシンポジウムを行ったり、バザーは被災地の野菜やメロンを
格安で販売しますので是非沢山の方にお越しいただきたいと思います。
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米山奨学会カウンセラー 山崎晃委員長
今月15日に長野で米山奨学会とカウンセラーの講習がありました。カウンセラーの講習会では、カウンセラーはあまりやりすぎてもいけ
ない。クラブ全体で奨学生を支えて欲しいと言われました。月一回は例会に出席する事となりますので声をかけてあげて宋寒さんが安心し
て勉学に励めるようしたいと思いますのでよろしくお願いします。
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クラブ協議会
◇河西正一会長エレクト「次年度に向けて」
来年度会長をやることになりました。よろしくお願いします。
クラブ協議会が終わり、新旧役員引き継ぎ会が終わり、だんだん崖っぷちに立たされている気分で今不安でいっぱいですが精いっぱい務
めたいと思います。よろしくお願いします。一緒にやって下さる伊藤幹事さんが大変素晴らしい方なので頼り切ってやろうと思います。ロ
ータリー歴は私が古いのですが人生の上では先輩ですので大いに頼りたいと思います。
次年度のRI会長はカルヤン・パネルジー氏といい、インドのカルカッタ生まれの68歳、農業メーカーの理事をし、今バングラディシ
ュの支社会長をなさっています。1972年にロータリークラブの会員となり39年のロータリー歴、38歳の時にはガバナーをやってい
ます。2011〜12のRIテーマは「こころの中を見つめよう博愛を広げるために」Reach Within to Embrace Humanityです。会長が仰
るのは人に何かを与えようとするならば、まず自分自身にそれを与えなさい。そうしないと人が何を望んでいるのか解りませんよ。そうや
って強くなってみんなで連携して奉仕活動に努めましょうという事のようです。今ここにつけているのがシンボルマークですが今年はいか
にもインドっぽいマークで何かの機会にお話ししたいと思います。強調事項としては、家
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河西会長エレクト
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族、継続、変化というものを挙げておられます。
2600地区のガバナーですが都筑文男(つづくふみお)さんとなっております。塩尻ロータリークラブで1954年生まれ57歳、歯
科医院の委員長をなさっています。2600地区の地区方針としては先ほどのRIテーマを受けて「博愛はこころの中に、あなたがロータ
リーです」というものを掲げておられます。いろいろ行動計画はあるのですが、重点行動計画として仰った事は20代、30代、40代の
会員増強を仰っており、今年は会員増強のセミナーが来月19日に開催されると聞いております。諏訪グループのガバナー補佐は小松郁俊
さん64歳、諏訪大社ロータリークラブで平成5年入会、小松内科クリニックの委員長さんです。
諏訪ロータリークラブとしてどうするかという事ですが、例年のように楽しいクラブでありたいと云う事でそれを主眼にやりたいと思い
ます。ただ地区方針を踏まえ、自分を知り、友達を知り、友情の輪を広げる事が出来るように、そしてそれが奉仕活動に繋がるようなクラ
ブ運営を目指したいと思います。次年度は55周年という周年事業があり予算が厳しいのでなるべく例会で皆さんが親しくなれるような例
会に心掛けていきたいと思います。また委員会活動と周年事業を一緒にやることで、また委員会活動を活発にやることで皆さんが親しくな
れると思います。
不安でいっぱいですが次年よろしくお願い致します。
◇伊藤武利副幹事
次年度の幹事を仰せつかっております。
前々回、古谷さんはメルトダウンと仰いましたが私の方はカウントダウンです。先日1歳半の孫と息子の奥さんと3人で近くの遊園地に
初めて行きまして遊園地デビューを果たしてきました。私は今日が幹事デビューですが、孫と同じでいろんな所につまずくと思いますが優
しく手を差し伸べて頂きたいと思います。よろしくお願いします。
伊藤副幹事
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私は河西会長とあまりお近づきの機会がなかったのですが、今までは目の優しい穏やかな方だと思っていたのですが、実はRCの会員の
方も良くご覧になっていて次期委員会の割り振りをやるときにそれを強く感じました。会員の皆さんにはご油断めさるなと申し上げたいで
す。お見かけとはずいぶん違う面がある事を発見しました。
もうひとつ、私も家内も幹事というものを理解せずにお引き受けしまして、先日会長のお店を伺ったときにお土産を頂き、これがオープ
ンすると30分で売り切れる有名な品で、うちの娘は大福を4つも食べましてそれ以来ロータリーおよび幹事の仕事に理解を深めどうぞ行
ってらっしゃいと言われるようになりました。
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向こう一年間幹事を一生懸命務めさせていただきます。会長は楽しい例会にしよう、友達を良く知ろうとの方針ですので私もそれに沿っ
てやりたいと思います。
卓 話 ハルピンラーメン社長 山崎仁雷様「石巻市でのボランティアに参加して」
大先輩方を前にして緊張しておりますが、何名様かちらほらとお見受けするお客様がいらっしゃるの
で安心しております。
先ほど挨拶していただいた山崎晃伯父さんと、本日は欠席している山崎壮一伯父さんと、あちらにいる安川の伯父さんの兄弟の息子にあ
たります。
昭和51年に諏訪で生まれずっと諏訪にいました。小学校2年の時に父が他界してそれから母がハルピンラーメンを切り盛りして生計を
立ててきました。小学校2年の時に事件があり、晃伯父さんと壮一伯父さんが毎年、盆と暮れにお線香を上げに来てくれました。壮一伯父
さんは当時運転手つきのベンツに乗ってくるのですが、僕はそれを見てどうして同じくらいの年の人なのにそういう事が起きているのかシ
ョックを受けました。当時ベンツに対してうちの母が「いい子だからあの車にだけは絶対触っちゃいけない。」と悪い人が乗っている車だ
からベンツには乗ってはいけないと教えを受けていたのに、どうして伯父さんは乗っていて、そういう運転手さんと伯父さんみたいな立場
があるのだろう、運転手さんという職業が云々というのでは無く、それならば僕は伯父さんのような経営者になろうと決めました。なんの
能力も無い私でしたので、小さい時から仕込みの手伝いをしていたハルピンラーメンがもし世に出るものであるとしたら、これを経営とし
て選ぼうと25歳の時に高田馬場で独立しました。これがうまくいかなくて朝から晩までやってもお客さんが20人来ないという開店当所
だったのですが、そこで3年商売の勉強をして、母が引退すると云うので有難く継がせてもらって今に至っています。
さて、本題に入ります。3月11日の震災を受けて私の心にある言葉が落ちてきました。「今何かできる事はないだろうか」「なんとか
して役に立ちたい」、それはきっと皆さんの心にも同じ言葉が落ちてきて、日本国民をはじめメディアを通して世界中の心に落ちたはずだ
と思います。皆さんも行動されていると思うのですが、なにせ未曾有の大震災であり現地ではお金も人も物も足りていません。ただ、メデ
ィアが過ぎていくと、うちの募金箱も前まで100円玉が多かったのが10円玉になり、1円玉になりというのが現状です。ただ、継続し
た支援というのがとても大切になってきていますので今日の話をお聞きになって、また行動して頂ければと思います。
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山崎社長による卓話
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私が考えた自分にできる事は2つです。一つ目は3月25〜27日のチャリティー営業、この3日の売り上げと募金箱を義捐金に回すと
云う事。もうひとつは3月31日、4月1日と行った東北の石巻での炊き出しになります。
信州麺友会という長野県をラーメンで盛
り上げようと云う40店舗加盟の組織があるのですが、その仲間内で自分達に出来る事は無いかという話になり東北にラーメンを炊き出し
に行ったらという話になりました。ただ、その時は情報が無く、勝手に言って迷惑になってもいけないし、行ってどこでやったら必要とさ
れるかもわからない状況でした。信州麺友会の会長がNPO法人に連絡を取り、こういう気持ちがあるが行っていいものか確認したところ
是非来てくれという事になり、どこに行けばよいのか範囲が広すぎて確認出来ないので時期が来たら連絡すると言われ、3月25日に連絡
があり、日程調整が出来て確実に行ける8人で行く事となり、それにあてがわれる食材の準備を8人でやる事となりました。他の仲間達に
呼び掛けたところ、結果的に17店舗の店主が参加する事となりました。行きたくても行けない人間からも食材だけでも持って行ってくれ
と言われたものも含め、3月31日の時点で約2,000食以上の食材が集まりました。
NPO法人の方でもし食材が余っても無駄になる事は無いあるだけ持ってきてくれと言われ、いざ出発となりました。31日の夜中の
1時半から2時くらいの間に集結していくのですが、その時点でどこに行くかは決まっていなくて、とにかく東北に行く事だけ決まってい
ました。朝の7時くらいに会長に連絡があり、どうやら石巻に決まったと言われ石巻に向かいました。炊き出しの場所は石巻の駅前とその
他に2か所の合計3か所。自分達は石巻の駅に行くことになり、到着したのはだいたい9時くらいでした。インターから石巻の駅に行く間
、津波を受けた後はなく、地震で崩壊した家は幾つかあるのですが、ここで炊き出しをしてニーズはあるんだろうかとの空気の中で炊き出
しは始まりました。
食材や厨房機材が届くまでの間、炊き出しの呼び込みを行ったのですが、それぞれの家で泥かきを行い復興に向けて腹をくくって前向き
に動き出している人達の姿に出会いました。地元の酒屋さんは泥をぬぐってお酒を売りに出していたり、お弁当屋さんも自分たちで作った
ものを売りに出していたりと確実に復興に向けて動いていました。そういった空気の中でラーメンの炊き出しをやると云う事を伝えていく
のですが、「ラーメンありがとう、地震が起きてからまだあったかいものを一回も食べていない、この服も地震が起きてから一回も変えて
いない。」といいながらも、活気を感じました。実際、ふたを開けてみると、駅前のところでも11時過ぎ位に200人以上待ちが出てい
るような状態でした。自分も25歳の時からラーメンを作り、かれこれ何十万杯とラーメンを作っているのですが、自分のところで出して
いるハルピンラーメンを出しているわけではないのに、こんなにラーメンが有難がられた事はありません。涙を流したり、拝んでくれる人
も見られました。
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出したラーメンは皆で寄せ集めたもので作っており、それぞれプロですから醤油ベースのもので作っており誰が食べても優しいあったか
い味にしようと云う事になり、醤油ベースのかえしと鳥ガラのスープをそれぞれ持っていき現地で合わせるのですが、本来醤油ベースの味
付けは難しいのですが、これが本当に不思議な事に何かの力が乗るんでしょうね、作ったラーメンが本当に美味しいんです。
現地の人に大変喜んで頂けました。
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お昼の営業が終わり、被害の状況を見ていって下さいと言われて見たのですが、広範囲にわたって家にトラックが突っ込み、その上にど
こかの家の2階が乗っかり、その上に船が横たわるといった光景が延々と続いていました。最初は目をそむけたくなるんですが、感覚がマ
ヒしてきました。「復興ってあるんだろうか、このがれきをどこに寄せるんだろうか」と思いました。一方でこれだけの被害でありながら
車がどこでも通れるようになっていました。これは自衛隊の人たちが中に人がいない事を確認したがれきを寄せただけなんですが、その範
囲をこの短期間にやってくれたという、それぞれが今やれることをやるという心の賜物なんだなと感じました。悲惨な状況が石巻の駅前か
ら1キロも離れていないところから始まっており、自分達がラーメンを作りながら「頑張りましょう」と言っていたお客さんの多くの人が
大事な人を失っていたり、大切なものを亡くしていました。だけど皆前に向かっていたんだなと。悲惨な被害の状況を見た後であれば「頑
張りましょう」なんて軽い気持ちで言えたのかなという気持ちになりました。ですから夜の炊き出しでは、この人達も大事な人を失ってい
るかもしれないというのが心にありますから、どのラーメン屋の店主もでも言う事は一緒なんですが「頑張りましょう」と、ただ思いが
違うというかそんな思いをしていました。
炊き出しが終わりましてNPO法人が作った場所なんですが、まとまってボランティアの基地みたいなものが専修大学のキャンパスに設
置されていました。そこに残った食材の報告に行くのですが、そこで見た光景がすごくて、日本中、世界中から集まった人がテントを張っ
てそこで生活していました。そこで生活している人のために余った食材で炊き出しをするのですが、そのテントの数が無数で、何かできる
事はないかと行動した人たちのテントの花がそこに出来上がっていました。これを見たときに日本は一つになっているし、ここに来させて
いただいて有難いというか、そういう機会を与えてもらって有難いという気持ちで帰ってきました。
もうひとつ炊き出しと一緒に行ったチャリティー営業なんですが、パートさん達、社員さん達に手紙を出しました。どういうつもりでこ
のチャリティー営業をやるんだよという気持ちを伝えるために。実際にふたを開いたら募金箱にじゃんじゃんとお金がたまっていくのです
が、あるパートさんが「義捐金ありがとうございます」と声を掛けだしたんですね。それは良いことだとなって、みんな真似しだしたんで
すが、募金箱を設置した時、空の募金箱ですから、空だとかっこ付かないから社員は千円入れたり、パートさんは五百円入れたりするんで
すが、そのパートさんは「うちは厳しいので入れれない」と、なんかバツが悪い空気になったんですが、ただ、その人は自分にとって募金
はできないが何が出来るんだろうと考え、気持ちよく募金して良かったと思ってもらえるように言葉をかけ始めました。その行動も自分に
何が出来るかという事を考えて行動した一つなのではないかと思っております。
最後に、5月22日に麺友会が気仙沼に炊き出しに行ったのですが、やはり日数が経っている分ニーズも変わってきています。以前ほど
炊き出しが喜ばれないというか、あればあったで良いとの雰囲気に変わって来ています。欲しいものも変わって来ていて、出来ればお酒が
飲みたいといったように。現地の漁港の人たち、実際に働いている人たちは気仙沼では100人近いんですが半分はリストラされちゃって
います。その半分の人たちに長野に来てくれといっても働き口がないと思うんですよね。じゃ、どうしたら良いのかというとこれからは第
一次産業にお金を落として、衣食住が事足りたのであれば働く場所を整えていかねばならない、だけども今回は被害の範囲が広すぎて義捐
金が集まってもそこにはお金が回って来ていないのが現実だそうです。それを聞きましたので、お金がたまってきたらスカイボックスとい
う1個6万円のタンクを購入して産業が早く行われる努力をするためにそれを送っていこうと思っています。それをやろうと思ったきっか
け、それを最後にお話して終わりたいと思います。
地震が発生して1週間くらい経ったときに悲惨な映像と悲惨な情報しか伝わってこなかった時に、ある少年がスーパーにお菓子を買いに
行きました、少年はレジ待ちをしているとそこに募金箱があり、その募金箱を見て暫く考えてお菓子をもとに返して募金をして帰りました。
その少年が自分に出来る事を考えて、まさしく行動した訳です。それを聞きまして自分にできる事は実際に行動しなければということで今
回の話になりました。
まだまだ被害は続いていますので、継続する支援が必要になりますので、力のある皆様がもう一度考えて何か支援に今できる事を考え直
してもらえればと思います。
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