riemblem International District 2600 諏訪ロータリークラブ週報

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2605回例会 2010.08.27(金)  No.2496


司  会 藤森省作SAA
出席報告 本日 91.49% 6名欠席 前回訂正91.49% 6名欠席
ラッキーナンバー No.57 伊藤武利君

ニコニコボックス
 藤森省作君
  先日は親睦委員会の湖上遊覧、楽しい例会で盛り上がり、思わず青春 に戻った気持ちで
  歌わせて頂きありがとうございました。
 小口武男君
  連続欠席で申し訳ありませんでした。本日も早退します。
 小口秀孝君
  お盆明け、久し振りの例会出席です。忘れられないように
 小飼康平君
  連絡がうまくつかず御心配をお掛けし申し訳ありませんでした。
 上原富夫君
  納涼例会楽しかったです。
 笠原宏文君
  湖上よりの夜景、花火楽しみました。親睦委員会の皆様、有難うございました。
  また会報委員会の皆様、勉強会有難うございました。
 太田啓君、八幡一成君、伊藤武利君、那須要一郎君、武田道仁君、長田司君、藤森省作君
  先週の夜間例会ありがとう ございました。次回は10/15(金)ゴルフ例会です。
 伊藤武利君
  ラッキーナンバーに当って。

会長告知 折井俊美会長

 先週は納涼例会ということで、諏訪湖で船に乗り、花火を見たり楽しい時間を過ごすことがで きました。親睦委員会の皆さん、ありがとうございました。もう少し大勢の方が参加して頂ければ良かったと思いますが、これからも色々 ございますので、是非日程を調整し、多くの方が参加して頂けるようお願いします。
 毎日相変わらず暑い日が続いております。朝夕は多少過ごし易くなってきていますが連日30℃を超す猛暑で、後1週間から10日は 暑い日が続くと思います。
 最近、仕事柄東京からのお客様のお迎えで茅野駅と上諏訪駅に行く機会があり、茅野と諏訪の違いを感じましたので、今日はその件を お話したいと思います。
 茅野駅は上諏訪駅に比べ、お客様が多く混雑していました。上諏訪駅は軽装で普通の格好のお客様が多いのですが、茅野駅は登山靴に 重いリュックを背負った学生や中年の男女のいくつものグループが下車しています。新宿駅から直接八ヶ岳の登り口までバスが出ており、 そちらも大勢のお客様が利用しているようです。
 この時期、八ヶ岳山麓の別荘は、どこも一杯になります。最近は、以前より長く滞在する人が増えています。昔は年間で50日くらい 滞在していたのが、最近は80日から100日ぐらい滞在しているようです。滞在中に野菜を作ってみたいという方があり、私の実家にも 空いている畑が沢山ありますので母親が先生になり大豆やモロコシ、ジャガイモ等を作っています。大豆は味噌作りや、蕎麦は蕎麦打ちを 行い喜んで頂いています。
 これは一方通行ではなく、野菜作りを指導した方から母親もパソコンを教えて頂き、現在ではパソコンが無いと暮らしていけないくらい 上達しました。私も母親に影響を受けパソコンを習得することになりました。これらは今まで無かった地域のコミュニケーションが山の中 から形成されてきています。
 諏訪の出身者が諏訪で思い浮かべるのは二通りに別れるようです。茅野、富士見、原の人たちは「八ヶ岳」を想い、諏訪、下諏訪、岡谷 の人は「諏訪湖」を想います。諏訪圏の合併はうまくいきませんでしたが、八ヶ岳も諏訪湖も諏訪の大事な資源です。それぞれの特徴を 大事にしながら諏訪が一つになれば可能性が大きく広がると思います。

【植物あれこれNo.5】
 今日は「ナツメ」についてお話します。
 芽吹きが一番遅く、夏に芽が咲くのでナツメという名前になりました。中国北部の原産でクロウメモドキ科の落葉高木で、淡緑色の小さ く目立たない花を咲かせます。果実は2cmほどの卵型で、熟すると赤黒くなり次第に乾燥して皺ができてきます。
 乾燥した実は強壮作用・鎮静作用があり、多くの漢方薬に配合されています。韓国では、薬膳料理サムゲタンの材料として使われる他、 砂糖・蜂蜜と煮たものをデチュ茶(ナツメ茶)と称し飲用します。ちなみに茶器のナツメもナツメの形からきているとのことです。
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幹事報告 古屋了幹事
11/6〜7日に上田で開催される地区大会の出席をお願いします。
役員と3年未満の会員は義務出席に なります。
10/9〜10日にライラが上田で開催されます。現在、高橋新世代委員長が登録されていますが、 他の会員の登録もお願いします。
先日ゲストビジターで来られた東京東村山RCの野沢様から礼状とお饅頭を頂きました。
9月のロータリーレートは1ドル86円です。

委員会報告 朝倉英仁社会奉仕委員長
 9月10日に清水橋水源を見学し、霧ヶ峰のホテル強清水にて例会を開催します。お手元に「移動例会 について」の案内がありますので参考として下さい。
 当日は清水橋のバス停に集合となりますが、出席委員会の皆さんに事前に集合して頂き、皆さんの案内をお願いしました。清水橋までは ジャリ道ですのでバス停に駐車して頂き、乗り合わせで700m奥の水源まで移動します。徒歩でも移動できますし、水源地で足元が悪い ことが想定されますので、スニーカーや長靴等の着用をお願いします。また、ポリタンク等を持参頂ければ塩素を含まない美味しい良質の 水を持ち帰りできます。
 素晴らしい景観で感動できますし、久々の移動例会ですので多くの方の参加をお願いします。

卓話 プログラム委員会 藤原吉彦副委員長
 先日、三井会員から諏訪RCの創成期からの卓話をお願いしましたが、本日はそのパートUをお願いし ました。よろしくお願いいたします。

三井章義会員卓話
 前回7/16例会に引き続き、諏訪RCの草創の先輩達についてお話をさせて頂きます。
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三井会員による卓話
 前回は初代会長の藤森伝一さんの話までしましたが、その時の幹事が亀源醸造の松井澄寿さんであります。今日は松井さんと二代目会長 の寺島清七さんのお話をさせて頂きます。
 松井さんは非常に温厚な方で、誰に対しても常に笑顔で接して下さいました。松井さんの思い出は沢山ありますが、私が入会した時の 第12代の諏訪RCの会長でして、不思議な縁でお亡くなりになるまで永い付き合いをさせて頂きました。松井さんの素晴らしいエピソー ドがありますので紹介したいと思います。
 富士見にRCを作る時のことですが、昭和47年頃、富士見にRCを作ろうという気運が諏訪RCに沸き起こりました。
 なぜ茅野を通り越して富士見かという疑問がありますが、その話は別の機会にいたします。
 富士見には商工会議所が無かったことから商工会へ出向き、専務さんにRC創設の依頼に伺いました。当時の富士見商工会の会長は五味 数武さんという昭和機械の工場長で、富士見では超大物でした。五味さんに会って話しをしましたが、良いとも悪いとも何も答えて頂けず、 その後も松井さんと藤原正男さんと私で富士見に何度も通いましたが、「ライオンズクラブからも話がある」と言って中々良い返事を頂け ませんでした。何度目かにお会いした時、やっと「ロータリーにしたいと思う」とポツリと言われました。私達はホッと胸を撫で下ろしな がらお礼を申し上げ「ところでどういう理由でロータリーになったのですか」と尋ねたところ「皆で話し合って、俺達もロータリーに入れ ば松井さんのような立派な人になれるかな。なれればいいな」と言ってロータリーに決めたということでした。
 そして松井さんは富士見クラブ創設の特別代表に就任され、諏訪RCが全面的にバックアップを行いながら今現在まで続いている富士見 RCが誕生した訳です。
 松井さんは藤森初代会長の時代に二期、二代目の寺島会長の幹事を一期、創設期から合計三期の幹事を務め、藤森初代会長とともに、 ロータリーの本質を適確に理解され立派な諏訪RCを作って下さった功労者であります。
 第三代会長は日赤の医院長を長く勤められた佐藤元一郎さんで、その幹事は後に第260地区(長野、愛知合同)のガバナーをされた 布半の藤原正男さんです。藤原さんは四代会長の藤森安春さんと五代会長の林清一さんの幹事をされ、松井さんと同様に三期に亘り幹事を され、諏訪RCの礎を築いて下さいました。
 私は藤原正男ガバナーの下で地区幹事をさせて頂き、松井澄寿さんが地区会計長を受けて頂きました。
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初代幹事
松井澄寿さん
 当時の地区は愛知県と長野県の両方に跨っていましたが、愛知県がロータリーと懸け離れた独特な運営をしていたことから、地区として も困ることも多くありました。地元ではガバナーに物を言えない体質があり、藤原さんに改革を託してきました。藤原さんと松井さんと私 と三人で愛知県に乗り込み改革をさせて頂きました。諏訪人気質もありますが、ロータリーの本質を熟知されたお二人が正論で議論しまし たので相手も納得され無事収拾し、愛知県の方からも非常に喜ばれました。
 次に二代会長の寺島清七さんのお話をさせて頂きます。
 寺島さんは長野県の医師会長を永くされ、中央では時の武見太郎会長の右腕と称された敏腕家であります。外科医としても優れた方で、 私の子供の頃には「盲腸の寺島先生」と言われる有名な先生でした。また永い間、諏訪湖カントリークラブの理事長をされていましたので ゴルフ好きな方は名前を知っていると思います。
 そのお人柄は大変心の優しい方で人情家でありました。ただ決してお世辞やお上手を言わず、歯に衣を着せずにズケズケと物を言う方で したので「怖い先生、近づき難い先生」という印象が強かったと思います。亡くなった後、先生を慕う人達が作った追悼文集のタイトルが 「諏訪の大将」副題が「こんばか先生寺島清七」となっているように、いつも「こんばか」言って叱られているような気持ちになったかも 知れません。しかし、どんなにきつい言葉で言われても怒る気がしなかったということは、先生の人柄で心に優しいものを持っていた方だ と思います。むしろ寺島先生から声を掛けて頂くことは私達若い者は大変嬉しいことだったという印象を持っています。また大変面倒見が 良い方で、色んなことでお世話になった方が多いと思いますし、多くの人に慕われた方であります。また実行力があり、物事の本質を見抜 いている方でした。ロータリーについても本質を見極めておられ逸話も多いですが今日は2〜3の話をさせて頂きます。
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二代会長
寺島清七さん
 諏訪RCでは地区大会のホストを二度しました。一回目は昭和46年、これは長野と愛知と一緒の時で、二回目は地区が分割され長野県 だけの2600地区になった最初の地区大会を諏訪RCで引き受けました。私は一回目の時に諏訪RCの副幹事をしており、寺島先生の下 で地区大会の手伝いをさせて頂きました。寺島先生が私達によく言っておられたのは「お前達、ロータリーに入ったからと言って威張るじ ゃないぞ。自分の職業を代表しているに過ぎないのだ」と特に若い人に対して口癖のように言われました。確かに今から40年前にはロー タリアンになることはステイタスで特別なものとして世間から見られていたと思います。私はある先輩ロータリアンから「君の身に近々画 期的なことが起こるよ」と言われ「何のことですか?」と尋ねましたが「私の口からは言えない。今に分かるよ」と言われ、間もなくロー タリーに推薦されたことが分かりました。
 二つ目の逸話ですが、ある地区の大きな会議でリーダから「四つのテスト」について考えを求められた寺島先生は「真実かどうかなどと 言われても女房と税務署に本当のことが言えますか」と答え、会場が爆笑に包まれたそうです。以来、“長野に寺島あり”ということで 愛知県でも有名になったそうです。その寺島先生が愛知のパストガバナーを相手に芸者論争を起こしました。それは諏訪クラブが最初に 地区大会のホストを引き受けた時のことです。寺島先生が大会委員長で、企画委員会の席上で懇親会の接待に芸者を入れるというホスト クラブ諏訪の提案に対し、愛知の大物パストガバナーが反対をしました。「ロータリーの会合に芸者を呼ぶとは何事か」という単純なもの だったと思いますが、「芸者を呼んで何が悪い」というのが寺島先生の主張でした。寺島先生は「芸者だって立派な職業だ。先入観で判断 してはならない」という考えだったと私は推察します。両者互いに譲らず、とうとう寺島先生は「それなら私は委員長を辞めます」と言っ たので、相手のパストガバナー黙ったそうです。結果は芸者を呼ぶことになり、お陰様で懇親会は賑やかく大成功に収めることができ高い 評価も頂きました。余談ですが実は愛知の大物パストガバナーは地区大会に姿を見せませんでした。
 この話が愛知に伝わり、「諏訪には寺島清七という怖い人がいるから気を付けろ」ということになり、愛知県出身の歴代のガバナーが 公式訪問に来ると真っ先に寺島先生に挨拶しておりました。しかし先生はいつも笑顔で優しくガバナーを迎えたので訪問したガバナー達も ほっとした様子でした。
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地区大会の模様

 私が会長になったのが昭和58年でしたが、その2〜3年前から寺島先生が例会に殆ど出席されなく なりました。理由は未だに分かりません。ところが私が7月に会長に就任してから大変出席率が良くなり嬉しく思い「先生、いつも出席し て頂きありがとうございます」とお礼を申しますと「ばか、お前が心配だから出て来るんだ」と申されました。先生の独特の言い回しでこ う言われると嘘だと分かっていても嬉しいものでした。またある時私が「会長というのは大変なものですね。毎週例会で何か一言言わなけ ればならないので」と申しますと、すかさず「何も無理して言うことはない」と申されました。次の例会の会長告知の際「寺島先生が何も 無理して言うことはないと申されましたので今日は何も言いません」と言って壇から降りましたら、皆さ大いに笑って下さいました。
 寺島先生は明治の人ですから我々から見ると頑固な人に見えましたが、実はご自分の考えをきちんと持った信念の人であり、最近の総理 大臣のようにブレることがなかった方だと思います。そして同時に優しい心、思いやりの心を持っておられ善意、寛容、友愛というロータ リーと同じ心を持った方だと思います。ロータリーの本質を諏訪RCに植え付けて下さった方のお一人であります。
 先日の例会で中島会員増強委員長が三人の方を指名して諏訪RCへ入会してから感じたことなどをお話して頂きました。
 高橋さん、平林さん、藤森吉三さん、三人の方それぞれのお話が非常に良いお話しでした。三人の方が立派でしたので指名した中島委員 長の株がグンと上がったような気がいたしました。お三人の話を聞いて諏訪RCには先輩方が築いて下さったロータリーの精神が脈々と受 け継がれているのだと強く感じました。
 次に機会があれば、この人抜きにしては諏訪クラブのことを語れないという藤原正男さんのお話しをしたいと思います。

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