riemblem International District 2600 諏訪ロータリークラブ週報

weeklyrogo

2577回例会 2010.01.15(金)  No.2468


司  会       山崎 晃SAA
ゲストビジター   蒲地整志様(諏訪湖RCIM実行委員長)
           小松孝弘様(IM実行副委員長)
           三村昌暉様(ガバナー補佐事務局)
           鈴木丈史様(八王子南RC)
出席報告       本日77.08% 53名中16名欠席 前回訂正 80.76% 52名中11名欠席
ラッキーナンバー  No.21 朝倉英仁君

ニコニコボックス
鈴木丈史様(八王子RC)
 お世話になります。
蒲地整志様(諏訪湖RCIM実行委員長)、小松孝弘様(IM実行副委員長)、
三村昌暉様(ガバナー補佐事務局)
 IMへの参加よろしく。
河西正一君
 山崎さんから干支の寅をいただきました感謝。
山崎壯一君
 年末年始欠席、今年もよろしく。
小口武男君
 本年もよろしく。
三澤清司君
 山崎さんから寅のお守りをいただき神棚に供えました感謝。
朝倉英仁君
 ラッキーナンバーに当って。

会長告知 藤森和敏会長
 今月はロータリー理解推進月間です。
 ロータリーのことを知ろう、理解しようということで、今日の卓話は三井情報委員長より理解推進月間に寄せてロータリーにお話しをし ていただくようになっています。
 今日は1月15日で昔は成人の日でした。そこで“成人の日”について話します。1948年に制定され、以来50数年間、1月15日 は“成人の日”として、「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます日」と法律で定められ、国民の祝日になっ ていました。日本では古来より成人を祝う風習が存在し、男子は“元服・烏帽子式”、女子では裳着(もぎ:腰から下にまとう衣服を着け る”とか歯を黒く染めるお歯黒付けを成人の儀礼としていました。また、各地の村々でも一定の年齢基準ではなく、村人たちが定めた成人 の儀式が行われていたようです。明治以降男子は兵役につくための徴兵検査が行われ、これが成人式の意味を持ち、成人式制定のきっかけ となり、戦後昭和23年に制定されたわけです。なぜ成人の日を祝日にしたか。一説によると戦後、物資も食料も足りない時代、「人材」 も乏しく、良い国家を作っていくためには、国民自身が成長していかなくてはならないと考えた当時の役人たちが「子どもから大人になっ た自覚を持ってほしい」と願い、この日を祝日にしたそうです。
 成人の日に込められた先人の想いを知ることが成人になる一歩だと思いますが、近年、成人式で一部の新成人が非常識な行動をとること があちこちで報道されています。一部とは言え、しっかり自覚をもった行動をしてもらいたいものです。私も40数年前の自分自身が迎え た成人式、やや感傷的に振り返りながら時の過ぎゆく速さに驚いています。ちなみに2000年からはハッピーマンデー法に基づき1月の 第2月曜日に改正され、今年は1月12日でした。

幹事報告 八幡一成幹事
◇本日、IMについて諏訪湖RCのIM実行委員の皆さんから詳しいお話があります。
 2/7(日)ライフプラザマリオにてIMが開催されます。次回の例会までに出席確認、多くの会員の出席をお願いします。

委員会報告
◇米山記念奨学会功労者表彰状 小松茂君、安川英昭君
◇諏訪湖RCIM実行委員会蒲池委員長 「IMへのお誘い」
 IMとはグループ内の情報交換と親睦が目的の学習会です。
 2010年2月7日(日)PM1:30点鐘、PM6:30終了予定で開催します。
 会場はライフプラザマリオです。
 IMテーマは「水」、内容は@会員セミナーA講演テーマ「世界の水問題は日本の水問題」
 講師は諏訪東京理科大学天野輝芳教授です。また、懇親会を計画しています。
 多数の参加をお願いします。


クラブフォーラム  ロータリー情報委員 会三井章義君
 ロータリー推進理解月間と言うことで、この情報委員会は委員長と副委員長の二人です。今日はロータリーの元の元、つまりロータリー が誕生した頃のお話しをさせていただきます。
 ロータリーを理解すると言っても古い会員の方と新しい会員の方では理解の仕方が全く違います。そんな意味からするとロータリーの 誕生の物語はどなたにとっても大事な原点であります。その前のお話として、ロータリーの例会には「○○月間」というものがあります。 ただし、5月と7月はありません。例会の位置づけは「ロータリー章典」に載っています。 1月は「推進理解月間」、2月はロータリーができた月ですから「世界理解月間」、3月が「識字率向上月間」、4月が「雑誌月間」、 6月が「ロータリー親睦活動月間」。8月が「会員増強拡大月間」、9月が「新世代のための月間」、10月が「職業奉仕月間」と併せて 日本だけの「米山月間」がくっついています。11月が「ロータリー財団月間」、12月が「家族月間」です。これらの月間と言うのは、 その月に特に強調して何か一つそれ以上のことをやりなさいというのが狙いです。ロータリーとしては一年中このようなことをやっている わけで、その中での強調事項を指すものです。
 それでは早速、ロータリーの基本である誕生のいきさつですが、最初のロータリークラブができたのは、1905年2月23日にアメリ カのシカゴにおいて誕生しました。その時はポールハリスという青年弁護士が三人の実業家に話をかけて、初めて例会というものを持った その日であります。来月の23日が来ますと105年の歳月が経ったということになります。どんな家でもどんな社会でも、100年経て ば変わります。世界も国家も大変変わりました。この100年間にすべてのものが大きく変わったと思っています。ロータリーもまさしく そうであります。世界の変化とともにロータリーも変化してまいりました。ポールハリスも。ロータリーは、世界の変化とともに変化して いかなければならないというようなことを申しています。しかし、物事と言うのは、やっぱり一番大事なものは、そのことの始まりの精神 とか理念といったものが大事だと思います。物事の原点ということでロータリーにも立派な基本理念がありまして、それが100年間脈々 と受け継がれてきているのが現状です。
 それでは誕生物語についてお話させていただきます。ポールハリスは荒廃したシカゴで、1896年、明治29年に弁護士を開業しまし た。シカゴの都市構造の欠陥とか資本主義による自由競争社会、周りの人々を信じることができない状況の中で、ハリスは孤独感を持って いました。特にシカゴの職業人はお互い心が通わず心の渇きが著しかったと言われています。ハリスはその著「ロータリーへの道」という 本の中で「私には大切なものが一つ欠けていました。友達でした。哲学者エマーソンは1,000人の友達を持っていても、1人も手放す ことはできないと言っています。私が居を構えたシカゴには最初は1,000人はおろか友達は一人もいませんでした。」このように述べて います。そして、ロータリーの原点について「私は熟慮に熟慮を重ねた結果、ついに1905年の2月、3人の若い実業家に声をかけて集ま りました。そこで、昔お互いが故郷の村で体験したように相互の協力を推進したり、お互いに裸の付き合いを深める方法について簡単な案 を出したところ全員が賛成してくれました。」 このように言っています。 写真
最初の4人のロータリアン。
左から、ガスターバス・ローア
シルベスター・シール、
ハイラム・ショーレー、ポール P. ハリス
(出展:Rotary Images)
 この、ロータリー最初のクラブは徐々に会員も増え、親睦の度も増してお互いに助け合うようになっていったのは、極めて自然なことで あったと思います。商売上お互いに成功するように助け合ったそうです。つまり互恵取引をしたり、友達の商売がうまくいくように口添え もしたそうであります。この頃のロータリーについて、ハリスは次のように言っています。「ロータリーの集会は当時、他のクラブとは 一味違って、親密度が濃く友情に溢れていました。」この頃シカゴには何十というビジネスクラブがあったそうです。これは皆が商売を するために集まった仲間たちであり、そんなたくさんのビジネスクラブの中にあったこのロータリーのことについて言っているわけですの で、そういった状況も考えたほうがよいと思います。他のクラブとは一味違った親密度が濃く、友情に溢れていましたと言っています。
 ためにならない無意味な制約は法度でした。「会員は会場の入り口で肩書きをはずし、皆がもとの少年に戻るのです。私にとってはクラ ブの集会に出ることは、故郷の谷間に帰るのと同じことでした。ロータリーの最初の考え方は花を開き、ロータリーの理想と目的は明確に なりました。しかし、肩の凝らない仲の良い親善関係は相変わらずのロータリーの重要な要素でした。」その当時のことを言っています。
 このようにロータリーは親睦を目的として作られたということがはっきりわかっていただけると思います。しかし、私はこの時のポール ハリスの心の中に単なる親睦だけではなくて、このように荒廃したシカゴの街を少しでも良くしようという気持ちがあったのだと思います。
 ロータリーが始まった頃の話をもう少し話しますと、ポールハリスはクラブを作ろうと思いついた時、会員についてどうしたらよいかと いうことについて悩んでいたようです。1業種1会員という制度を考えついた時のことを次のように語っています、「ある晩のことでした。 私は同業の知人に誘われて彼の郊外にある家を訪ねました。夕食後、二人で散歩に出かけました。店の前を通るたびに友人は店の主人と 名前を呼び合って挨拶をしていました。私は、はたとニューイングランドのウオーリングフォードのことを思い出しました。この時、この 大都会シカゴで各種の職業から政治や宗教の立場を離れて、お互いの意見をおおらかに認め会えるような人を一人ずつ選んで、親睦団体を 作ったらという構想が浮かびました。もし、こんな団体ができれば、お互いに助け合えるはずです。」ということであります。 人によっては初期のロータリーにおける1業種1会員の原則を、親睦を目的とすることの同業者排除の原則、これはロータリーを研究する 学者の一人がこのロータリーをこんな風に難しく定義づけたものです。親睦を目的とするところの同業者排除の原則というように、悪く言 っている人もいます。
 ロータリーは何故、会員の資格を1業種1会員と限定するのかという質問をポールハリス自身がよく受けたそうでありますが、これに対 してハリスは、いくつものメリットを挙げて答えています。すなわち、この方式をとると親睦関係がうまくいくこと、職業が違うので同業 者間の嫉妬心が起きないこと、会員相互間の助け合いが促進されること、自分の職業に品位と誇りを感じること、他の職業の業績や問題点 について認識が高まることなどを挙げています。この1業種一人の原則はロータリー独特のものでありまして、ロータリー発展の要素にな ったということは皆さまご存じの通りであります。しかし、現在はこの原則は緩和されています。5人またはそれ以上の正会員がいる職業 分類からは選んではいけない。5人以上は一つのクラブにいてはいけない。もっと緩やかなルールも同時に適用されています。会員数が 51人以上いるクラブの場合は、同じ職業分類の中から会員数の10%まではよろしいというようにルールが変わりました。 これは2001年の規制審議会で改正されたものであります。この時、同時に会員の種類が2種類になりました。正会員と名誉会員だけに なりました。前は分類がいろいろありましたが今現在は2種類だけです。1業種一人制の大原則が崩れたことは事実であります。
 先ほど私はロータリーは親睦を目的に作られましたけれども、ポールハリスの心の中には、荒れ果てたシカゴの街を少しでも良くしよう とする考え方があったのではないかと申しましたが、つまり、自分達の利益追求だけではなく、他の人のことを考えたのではないかと思い ます。このことを裏付ける言葉を見つけました。ポールハリスが、「ロータリーの理想と友愛」という著書の中で、「ロータリーの初期の 目標は利己であったということがある。あるいはそうであったかもしれない。しかし、自分の生涯のうち最も非利己的で甘美であった時代 は1905年のシカゴクラブ員当時であると言っている人もあるのであります。利己的であったか非利己的では何を持って湯楽となしたか によって決まるであろう。もし会員が彼自身の利益のみを図ったとするならば、そこに存在したものは利己である。反対に他人のために尽 くすことを思って湯楽としたとすれば彼は非利己的だったのである。この錯綜した思想が我々の古きシカゴロータリークラブに絶無であっ たとは言えない。ということは、どこにおいて免れがたい極めて自然のことであったということで、いろんな考え方の人がいたことは事実 であります。利己的な考え、また利他的なことを考えてやったというようにいろいろな人がいました。」この文章は米山梅吉さんが昭和 11年に翻訳した文章ですので非常に難しい表現になっていまして、分かりにくいと思いますが大体どんなことであるかご理解いただける と思います。
 そして1年後の1906年、ロータリーができて、一年後にはじめて綱領と言うものができました。僅か2条しかなかった。第1条は 会員の利益、第2条は社交クラブとしての親睦をうたったものです。ですから最初はやはり、会員同士の利益をうたっていたということで す。ところがドナルドカーターと言う有名な弁護士に入会を勧めたところ、自分だけの利益を図るクラブでは将来性がないと言われ入会を 断られているのです。最終的には入会しましたが、そういうことがありいろいろ考えた結果、シカゴ市の利益を推進し、市民に市に対する 誇りと忠誠心を醸成するということを、第3条として追加したそうです。
 そこでロータリーが一番先にやったことは、シカゴの街に公衆便所を作ったことです。ロータリーの他に対する奉仕活動の基本であり、 ロータリーの奉仕活動の最初の活動です。この頃から会員の利益追求ではいけないということで、万人のための利益を考えなければならな いということを明確にしてきました。ここに奉仕という概念の胞が見られるので、100年以上の年月の中で大きく変化し大きく成長し 花開いているということができるのではないでしょうか。
 さらに続いてアーサーフレディックシェルドンが入会しました。そして、1908年に奉仕の原則を提唱しました。彼の考えは、商売 というものは一発で儲ければよいというものではない。商行為は続けるものであるから、その行為が人間関係を深め、長く続けると信用が できてくるもので、それは世代を超えた信用である。この信用の連鎖を社会改良のエネルギーとすることができるという考えであります。 このような考え方のもとでシェルドンは、ロータリーのロータリーたる所以は1業種1会員制にありということを提唱し、ポールハリスが 考えた1業種1名という考えを奉仕という概念に結びつけているもので、この会員制度の原則が今日までずっと続いています。この時から ロータリーは一つの思想として捉えることができるようになったと評価をされています。
 1923年に決議が採択され、ほぼ完全に思想として確立されたと言われていますが、前にもお話ししたように「決議23の34」と いうロータリアンとしてどのように行動すべきかという一番根本的な指針が示されたわけです。この中にアーサーシェルドンの言葉と フランクコリンズの言葉が入っています。それが無くなりそうになっているから、今、日本のロータリアンが、もう何年も前から大騒ぎを しているのであります。
 今申し上げた「決議23の34」の中には二つの奉仕の概念、理念が含まれています。一つは奉仕の哲学と言われる「超我の奉仕」と もう一つが実践倫理と言われている「最もよく奉仕するもの最も多く報いられる」という二つの言葉が我々ロータリアンの行動の指針に なっていると思うわけであります。
 そのようなことを踏まえて今のロータリーはどんな風になっているのかということですが、現在はここ数年、RIの強調事項が変わらず に言われてきました。「保健・飢餓追放・水・識字率向上」これを主眼とするプロジェクトを全世界でロータリーは推進しています。 今やロータリーは地域社会のみに止まらず、広く地球規模で取り組むべきという考え方になっています。さまざま昔からのロータリアンの 場合、今のロータリーのRIの考えは違うのではないかという声もしばしば起きていますが、これも大きく時代が変化していることを我々 自身も、認識しなければならないところに来ているのではないかと思います。特にご存じのポリオ撲滅運動ですが、これは国連とタイアッ プしながら撲滅運動をしているわけですが、必ず撲滅できると信じて活動しているところであります。いずれにいたしましても、今はグロ ーバルなものの考え方中で、ロータリーは活動していかなくてはならないということを申し上げておきたいと思います。
 結びとして私なりにロータリーとはどんなものかと考えてみました。私自身は自分を磨くところであり、そして楽しいところである、 さらには友達を作るところであると思います。楽天の野村監督がこんなことを言っていました。「野球に学び野球を楽しむ」これはロータ リーにも当てはまると思います。「ロータリーに学びロータリーを楽しむ」こんな姿勢でロータリーライフを皆さんにも楽しんでいただき たいと思います。

←前週報へ  週報ホームに戻る  次週報へ→
〒392-0027 長野県諏訪市湖岸通り3−2−9 ぬのはん 8:00〜18:00(火・金)
TEL:0266-52-5500 FAX:0266-52-5636   E-Mail:suwarc@nunohan.co.jp
Copyright:(C) 2009 Suwa Rotary Culb. All Rights Reserved.