12月7日“大雪”が過ぎ寒さが厳しくなってまいりました。
インフルエンザやら風邪やらが蔓延しマスク姿が珍しくなくなっていますが、皆さんお気をつけて、元気で年末年始を迎えてください。
さて今日は「エコ」について思うことをお話します。
近年「エコ」と名がつくとイメージアップにつながり、市場で売れ行きが良いという観があります。エコバック、エコ家電、エコカー、
エコマーク、エコ企業などなど。そもそもエコロジーは生態学、社会生態学を意味しておりエコの語源はギリシャ語のオイコス、「家」と
いう意味だそうです。ではエコハウスは家の家?それはさておき、本来は環境問題、特にCO2削減主体であったのに、いつの間にか「エコ」
が一人歩きしブームとなってしまったことから、ある意味でゆがみが出てしまったのかも知れません。
「エコ」=「環境問題」=リサイクルとなっているのが現状で「エコブーム自体が環境問題である」と皮肉る人もいるようです。
エコと騒ぐ一部のグループ、マスコミの煽動が問題になっており、例えば地球温暖化の問題で、温暖化で国の地面がなくなる、狭くなる
と思い、問題と思っている国民は日本人が93%その他の国は30〜40%だそうです。日本人はマスコミに洗脳されやすいということで
しょうか。
マイバック、マイ箸、ゴミの分別等々、自分はこれほどエコに気を使っているのに他人はそうしない、と言ってきつく非難する者が多く
なってきたと思われます。過剰なエコ運動は部分的なものであり、全体の幸福にはなりません。曽野綾子氏は「間違っても、エコ運動をす
ることが自分の道徳性を示す証であり、人を責めることで自分が上等な市民であると思わないこと」と言っています。
私たちは、それを率先、煽動している輩には十分注意し、理性をもって静かにエコに協力していきましょう。
「?」シリーズ(その15) カレイとヒラメ
「左ヒラメ、右カレイのウソ」
一般には「左ヒラメに右カレイ」といい、体の左側に目がついているものがヒラメで、右側についているものがカレイだと言われていま
す。しかしこれには例外もあります。ダルマカレイというカレイの目は左側にあります。またタイワンカレイは同じ種でも、目が左側に
あるものも右側にあるものもいます。ではどこで区分すればよいかというと、ポイントになるのは口の裂け具合です。
ヒラメは斜めに裂けた大きな口をしており、カレイは小さなおちょぼ口になっています。目つきの方よりも、口の大きさ、形で見分ける方
が正確だというわけです。
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幹事報告 八幡一成幹事
◇ロータリーカード入会キャンペーン中です。期間は11月1日〜12月31日。
ポイントがロータリー財団への寄付となります。また、キャンペーン中にカードを作るとゴールドカード千円、スタンダード五百円が
ロータリー財団へ寄付されます。11月に全国で75名が入会しました。インターネットからも申し込み可能です。
◇日本ロータリー親睦ゴルフ大会の案内が届いています。開催地は沖縄。パンフレット申込書を回覧しますので奮って参加を。
委員会報告 伴在社会奉仕委員長
◇書き損じハガキの回収が早くも200枚近く集まり深く感謝しています。12月末まで実施しますの
で宜しくお願いします。また、切手の回収も行っています。
クラブ協議会(年次総会)
◇藤森省作直前会長
歴代会長による指名委員会にて次年度副会長候補小口武男会員、次年度副幹事候補伊藤武利会員を指名。本日の総会にて承認頂きたい。
◇折井俊美会長エレクト
次年度役員を承認頂きたい。
(満場一致で承認)
◇小口次年度副会長挨拶
ご承認ありがとうございます。景気が非常に厳しい中、我々製造業が生き残れるかどうかという状況ですが、なんとかこの景気を跳ね
返しながら皆様のご期待に添えるよう頑張りたい。
◇伊藤次年度副幹事挨拶
二等兵で入会し上等兵として出席委員長になったと思ったら副幹事ということで2階級特進のような気分です。何も分からないが自分
なりに一生懸命頑張りたい。皆様のご指導をよろしくお願いします。
◇古屋次年度幹事挨拶
折井会長につき添って頑張りたい。折井家の庭に迷い込んだタマが逞しく成長していく1年となるよう、皆様のご協力を得ながら
頑張りたい。
卓話 岩波寿亮会員
弊社及び諏訪の建設業の歴史についてお話しします。
大正15年、上諏訪町は大体角間町を中心とする在来の南部の商人、農民は政友会を、駅周辺の新興北部の商人は憲政会を支持して
いた。昭和3年2月には第1回の普選が行われることになっていたことから、町の有力者は両派に分かれて組織作りに大わらわであった。
政友会派は、宮坂作衛氏(当時町長、角間町白作呉服店主)がリーダーで、参画者は宮坂伊兵衛(角間町)、宮坂梅太郎、藤森静雄、
岩波萬、宮坂健治(以上小和田)、宮坂満而(榊町)、小口平助(大和)各氏で、大方、町会議員で毎夜選挙対策、町政について懇談を
重ねる中で役場庁舎改築が話題になった。当時の町役場は現在の明治天皇聖跡公園に学校を併設して建てられ、築50年の木造建築であった。
これを鉄筋コンクリートに改築できる業者は町内にいないし、東京、甲府の業者にやらせては町の建築業の発展につながらない。
将来、町も発展して公共民間とも大規模建築が建つのは明らかである。この際、町の有力者は資金を、建築業者は技術を持ち寄り一丸と
なって建築会社を創立、町の役場は勿論町外まで乗り出そうという結論になった。
そこで市内の有力者と建築業者の中の有力なる宮坂健治、小口平助、宮坂友右衛門各氏が集まって諏訪共同建築会社なるものを創立し、
その創立総会を開こうという寸前、有力者が政友、憲政両派に分かれてまとまらず分裂した。政友会派は諏訪建設株式会社、憲政会派は
諏訪興業株式会社を設立した。
弊社の前身である諏訪建築株式会社の創立総会は大正15年(昭和元年、1926年)10月16日鶴鳴館(新小路)において開催された。その決議録に
よれば、「総株主は31名、この株の総数2,000株、このうち出席株主25名、この株数1,810株、過半数なので開会した。
株主の中から宮坂作衛氏が推されて議長になった。
第1号議案、当社創立事項報告の件、宮坂健治氏が発起人を代表して創立事項を報告した。即ち下の様である。
本会社の目的とする営業は定款第3条に規定する如く地方の発展に伴いこれら事業の必要なるは申すまでもなく、従って有利有望なるは
今更多言を要しなくて明らかである。ここに我同感の諸氏と相謀り、本会社を創立した所以である。
大正15年4月15日発起人が定款を作成し、資本総額を金10万円定め1株の金額を50円とし、この株数2,000株を分けて発起人
において1,300株を引受け、残株を募集したところ旬日を出ずして万株に達した。依って同年8月28日発起人会を開催し、第1回払
込期日を同年9月25日と決定し、この通知を発したのに同月23日には第1回の払込が全部完了した。依って同月30日創立総会の通知を
発し本日総会を開会したる次第である。
第2号議案、会社の負担に帰すべき設立費用の支出の件、議長は会社の負担に帰すべき設立費用は598円13銭で別紙明細書の通りに
つき、これの承認を求めたが異議なく可決確定した。
第3号議案、定款承認の件、議長は定款承認の件を求めたが異議なく可決確定した。
第4号議案、取締役、監査役選挙の件、議長は取締役、監査役の選挙を行う旨を述べたが株主伊藤勝太郎氏が取締役及び監査役の選挙は
議長に一任すべき旨提議した。議長はこれを株主一同に諮ったところ一同異議なく議長に一任した。よって議長は下記の者を取締役及び
監査役に選任した。取締役 宮坂健治、小口平助、宮坂梅太郎、宮坂満而、藤森静雄。監査役 岩波萬、宮坂伊兵衛。上記の取締役、監査役
は即時就任を承諾した。
株主伊藤勝太郎は取締役及び監査役の全員は発起人中より選任されたことから商法第134条による調査報告の為、検査役の選挙を行う
べき旨を提案した。議長はこれを株主一同に諮った所、株主一同異議なくその指名を議長に一任する旨を承認した。よって議長は株主中から
下記3名を検査役に指名した。検査役 伊藤勝太郎、井上徳次郎、藤森伝一。上記検査役はこれを承認し調書の上別紙の通り報告した。
第5号議案、重役報酬決定の件、議長は重役の報酬を諮った所年額300円以内と決定した。議長は定款の規定に基き議事録署名者に
宮坂真重、伊藤房一郎氏を指名した。これにより議長は決議事項が全部終了したので創立総会は終結の旨を告げ閉会を宣した。
当時、合資会社、合名会社は多少あったが、株式会社は珍しく、下諏訪の下諏訪倉庫、岡谷の諏訪倉庫、○通運送店くらいであったらし
い。当時の建築土木の請負業者として有力なものは、岡谷の小口四平氏、野口ヲ一氏くらいで上諏訪では土木で天野角太郎氏、建築では
請負業者としては弊社が初めてであったかもしれない。
会社設立の目標の一つであった上諏訪町役場新築工事は、黒田設計事務所の設計監理で会社が天野角太郎氏名義で全体下請けの形で施工
した。当社は上諏訪町役場庁舎新築工事の実績を評価され農工銀行を受注した。当時町の唯一の鉄筋コンクリート工事を受注し得る業者で
あったと思われる。当時の工事料は87,000円位でありました。