2567回例会 2009.10.30(金) No.2458
司 会 山崎 晃SAA
出席報告 本日78.0%14名欠席 前回訂正84.6%11名欠席
ラッキーナンバー NО.11 藤原吉彦君
ニコニコボックス
細川昭八君
米山奨学会への寄付をお願いします。
河西正一君
昨日、信州ブランドアワード大賞受賞、今後とも新鶴塩羊羹をよろしく。
山崎晃君
滑り込みセーフで例会間に合いました、長田さん感謝。
小口寿夫君
連続欠席深謝。
伴在賢時郎君
恒例の諏訪湖マラソン無事終了。諏訪地域の活性化に貢献したでしょうか。
稲垣雅哉君、伊藤武利君、宮坂直孝君
五味会員の格調高い卓話を期待して。
増沢洋太郎君
結婚記念日に美味しいケーキを頂いて。
古屋了君
本日早退します。
玉本広人君
八幡さん、父の三回忌のお返し美味しいスズメ焼きご用意頂きありがとうございました。
藤原吉彦君
ラッキーナンバーに当って
会長告知 藤森和敏会長
今日は小春日和の素晴らしい日です。
9日のガバナー補佐事前訪問、17・18日の地区大会、23日のガバナー公式訪問も終了し、気忙しかった10月の
事業が今日で終わります。今年度、早4ヶ月が終了しますが、会長告知について考えてみました。会長告知は「わかりやすいロータリー」
には会長の特権として時間が与えられ(挨拶でなく)会員に奉仕理念を提唱する会長の大きな責任とあります。あるロータリークラブ会長
の自費出版された例会挨拶集を読む機会がありましたが、私は軌道修正せず自分流に一所懸命会長告知のネタを探しお話しますのでどうか
よろしくお願いいたします。
幹事報告 八幡一成幹事
◇唐沢ガバナー事務所より公式訪問の御礼状が届いています。その時のガバナーとの
集合写真が出来ています。@千円で出席委員会が窓口です。
◇安川直前ガバナー事務所の10月23日閉所のお知らせが来ています。スタッフの皆様お疲れ様でした。
委員会報告 小口プログラム委員長
◇お配りした11月スケジュールの変更等のお知らせです。11月20日の卓話予定者、
折井俊美君の都合が悪くなり、変わりの希望者を募ります。11月27日は夜間例会とし、元岡谷病院院長の会田靖夫先生を囲み、
前立腺肥大と男性機能のお話しを、質疑を交えてうかがいます。後日出欠をファックス等で確認します。
クラブフォーラム
新入会員卓話 五味和人君
私の人生の中で、幼少の頃普通と違った生活をしたことを話させてもらいます。
私は乙事の小作人の家に生まれました。父は冬の農閑期、山梨の鰍沢の酒屋へ酒造りの手伝いに行き家計を助けていましたが、戦争中の
中国へ渡り、酒を造り軍隊へ売って生活が出来るようになり、33歳で28歳の母と2歳の私と1歳の弟を呼びました。
後で母に聞きましたが、鈍行列車で5日かけて九州まで行き、また船で揚子江を一週間かけて漢口まで昇ったそうです。
昼は銃撃を避け夜だけ動いたそうです。先日中国より私に企業進出の依頼が在りましたがまだその勇気はなく、それを考えると当時の両親
は生活の為とは言え、年齢からしてもとても感心しています。戦争に日本が勝っているうちは良かったものの、敗戦後は漢口の日本租界で
厳しい物々交換の様な生活をしました。日本租界では後に岡本太郎の後援者になった長野県出身の日東製粉の伊藤社長がいて、後日岡本太郎
の絵をもらいました。さだまさしのご両親もいて、後年乙事の私の自宅を別荘代りにして寄ってもらい中国の話を良くしました。
昭和22年6月に引き上げ、佐世保に上陸、一人リュック1つと千円だけ渡され没収されました。田舎では生きる道がなく、今でも泣けて
しまうような苦しい一日一日を生き延びる様な生活でした。翌年田畑を借りて百姓を始めました。両親から高校を諦めるよう言われました
が、1学年だけという約束で入学し、しかし月謝が払えず、秋葉原で部品を買い集めラジオを作り、当時1万2千円位しましたが、5千円
で売り月謝を払いました。正月休みに54台作ったことを覚えています。何とか卒業しましたが、勤務先の会社が潰れ、自分で会社を始めて
やっとお金が貯められる様になった時、昭和58年9月28日夜8時40分、鉄砲水で全てがお終いになってしまい、何故自分だけがこん
な目にと天を恨みました。しかし人生の終わりに予期しない素晴らしいことが降って湧きました。それは今日の仲間、諏訪ロータリークラ
ブに入れてもらったことで、非常にうれしいです。
今、富士見町に故郷納税しています。父が貧乏は嫌だと苦労して田地田畑を買い集めてくれましたが、今農業をやる人が我家にいなく
荒れ果てて困っています。同じ立場の人が集まり協力して町全体の手入れをしています。今、農業推進員にされています。
昔は小作で年貢を払っていましたが、今は土地を借りてもらって、返されない様苦労しています。相続で弟と押付け合いましたが、
結局私が受け取り、今その維持に苦労しています。
卓話
細川米山奨学会委員長
8月29日に米山奨学金についてのゼミがあり、その時米山奨学生の卒業生の帰国後の活躍振りのDVDを入手しましたので後でご覧
頂きます。
私は米山梅吉という人について詳しくなかったのでその伝記を読み、今日はレジュメにまとめご紹介します。
ポール・ハリスと米山梅吉は同じ明治元年生まれで、亡くなったのも一年違いと言う偶然でして、米山さんが日本へロータリーを持って
きた何かの縁を感じます。米山梅吉は静岡で生まれますが、当時静岡は旧幕臣が多く、勝海舟等の指導で生活を立てその後新政府に入り
近代化に貢献した人もいた訳ですが、その中の一人に日本の資本主義社会の父とも言われる渋沢栄一がいました。
「論語と算盤」を著し道徳と経済の合一を唱えた訳です。梅吉は米国より帰国後、福沢時事新報社に入社、勝海舟に師事、井上馨推薦に
より三井銀行に入ります。江戸後期よりの道徳と経済の合一と言う時代思想背景の中、47歳で「新隠居論」にて成功者は報恩、今で言う
職業奉仕をしなければならないと言う事を唱えています。
米国に何回も行っている中、サービス・ノット・セルフと言うロータリーの標語が気に入り部下に調査させ、日本にロータリークラブを
創った訳です。ロータリーの現在の1951年の綱領にも、第2章に道徳水準を高揚しなければならないと書いてあります。
これから米山奨学生卒業生のDVDを見て頂きます。よろしくお願いします。
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