2.272回例会  2003.6.13(金)  No.2163

司会 平林 明副SAA
出席報告 本日81.67% 11名欠席 前回訂正88.33% 7名欠席
ラッキーナンバー No. 20 朝倉英仁君

ニコニコボックス 土橋潤二君、先週例会に参加できませんでしたが、ウイークリーを拝見し、宮坂直孝さんに宣伝をしていただきまして、有難うございました。宮坂さんとは同年です。これからも舞姫と真澄さんを宜しくお願いいたします。また、長期欠席をして申し訳ございませんでした。原亙君、息子が責任者で諏訪写友会の写真展を丸光で行います。下草の役で私の育成したウチョウランも出展致します。テーブルの案内状をご家族へお伝えいただきたいと思います。細川昭八君、末っ子の娘がようやくかたづきました。北澤晃君、写真を頂いて有難うございます。連続休んでしまいました。藤森省作君、原さんよりお写真を頂いて。三澤清司君、2週連続欠席しました。本日は河西委員長の代行です。朝倉英仁君、ラッキーナンバーに当たって。

会長告知 藤森郁男会長 今日は創立総会の記念の例会でございます。1957年(昭和32年)の6月11日が創立総会でありますので、今月46年目となります。「ロータリーの血筋」を読みますと翌年の4月28日に認証式をしておりますので、その間10ヶ月くらい。その間に諏訪ロータリークラブの特性が形づくられたと書かれています。けれども、その状況をご存知の方は少なくなったのではないかと思います。その時私は高校2年。私事で恐縮ですが、初代・2代の会長藤森伝一が私の祖父にあたりまして、祖父から「これを読んで聞かせろ。」と当時のRIから送られてきた英文の文書を渡され、こんなのわからないと放り投げた記憶がございます。その後の私の役目は、当時湯の脇にあった自宅から、現在とは反対側に玄関のあった布半さんへ書類を運び、藤原さんが和訳したものをまた持ち帰って祖父に渡す。そんなことを繰り返しておりました。その中で本部のあるエバンストンという地名と、この会は1業種1人の会だということがぼんやりとわかりました。そこで、祖父に布半さんと油屋さんはどう違うんだと尋ねますと、「ホテルと旅館だ」とか、同業だと思っていた亀源さんと竹屋は?と尋ねますと「亀源さんはお醤油で入るんだ」と、やけに真面目に応えるのでそれ以上いろいろ言えなかった覚えがあります。そんな訳でうちには寺島先生や佐藤先生、田中さん等いろんな方がおみえになって、お茶をお出ししたこともあります。藤原さん、松井さんは若いメンバーでした。主体となる明治生れの方は背筋が伸びていて、この会はきちんとした大人の会で、お互いに尊敬しあっている様子がうかがえました。私の祖父は商人ですけれども、寺島先生なんかの発言は会の中では絶対でした。その一方で家族的な付き合い方もしておりました。当時はテープレコーダーなんかありませんでしたから、よく会員の子女がピアノでロータリーソングを伴奏しておりました。今から言うと贅沢なことでしょう。私は、発足してからのことはわかりませんが、発足する前に多少タッチしたものですから、この機会にお話させていただきました。

幹事報告 濱 和彦幹事 いよいよあと2回となりました。次回とその次は役員退任挨拶をお願いいたします。ひとり2分、就任の時と逆順で15人ずつお願いします。

創立記念 30周年まで(50周年前編)映像・音楽製作上原嘉造会員解説新村良雄会員、10年、15年、20年、25年、30年と周年をたどり編集いたしましたら約1時間のテープとなりました。それを30分に再編集いたしましたので見にくいかも知れませんが、新村さんに解説のご無理をお願いいたしましたので宜しくお願い申し上げます。なお、この間退会されたり、お亡くなりになった会員の方もおられます、お亡くなりになられた方には謹んでご冥福をお祈り申し上げます。バックミュージックはノーベル賞を頂いた大江健三郎さんの息子さんの大江光さんによるバイオリン、フルート、ピアノの演奏です。
(若き日の顔、顔にこぼれる笑いやため息。在りし日の笑顔に思わず語りかける“戻ってきてよ…!”の声。途中、大江光さんの曲に同唱する上原会員のお孫さんの声“おじいちゃん…”も愛らしく溶け込んで。これから製作に取り掛かる後編もお楽しみに。)



慈愛の種を播きましょう


  

週報バックナンバー
(2003年4月〜9月)
 (2003年10月〜)