2.269回例会  2003.5.23(金)  No.2160

司会 平林 明副SAA
ゲストビジター 溝口慎一様 国際交流員ダニエル・ダピュート様
出席報告 本日81.67% 11名欠席 前回訂正88.33% 7名欠席
ラッキーナンバー No. 60 石城祐吉君 No. 6 藤森省作君 No. 5 遠藤智義君 No. 41 平林 明君 No. 42 増澤洋太郎君

ニコニコボックス 林健司君、産業功労で勲五等双光旭日賞を頂いて参りました。全ては多くの方々のご指導とご支援ご協力のおかげです。河西保美君、市議会議長にさせていただきました。奉仕の精神で頑張ります。

小林恭一君、ゴルフ例会で優勝させていただきました。スコアは決してよくありませんでしたが。藤森郁男君、ゴルフの写真ありがとうございました。始球式で空振りしなくてホッとしました。小口武男君、諏訪市PTA連合会の会長を受けることになりました。力不足ですが宜しくお願いします。八幡一成君、きれいなお花をいただいて。川端俊一君・細川昭八君、ゴルフの写真をいただいて。親睦委員会 ゴルフ例会無事終了致しました。有難うございました。石城祐吉君、藤森省作君、遠藤智義君、平林 明君、増澤洋太郎君、ラッキーナンバーに当たって。

会長告知 藤森郁男会長 幕末から明治大正まで活躍した実業家の史跡を訪ねて、王子駅から上野駅まで本郷通り沿いを歩いてみました。渋沢栄一の自宅があった飛鳥山公園の「渋沢資料館」。号を青淵と称したので「青淵文庫」。その横に小さいけれど芸術的には有名な「晩香盧」という和洋折衷の建物。渋沢は銀行・海運・保険等々ビジネスの創始者でその本拠地になるわけです。その近くの「旧古河庭園」(1万坪)は陸奥宗光の住居を古河財閥が買い取って洋館を建てたもので、有名なバラ園、日本庭園もございます。そのちょっと南「六義園」(3万坪)は徳川綱吉の元禄時代、柳沢吉保の大名庭園でしたが、その後岩崎弥太郎が別宅としたところ。上野方面へ少しはなれた岩崎弥太郎の本邸である「旧岩崎邸」(1.5万坪)は洋館と和館がございまして、洋館はつい先日公開されるようになりました。明治の実業家の想いに触れられることを期待して界隈を歩いてみましたが、なかなかつかめるものではありません。しかし、どこでもその時代一流の物を使っており、洋館は共通して鹿鳴館の設計者ジョサイア・コンドルの手によるものです。今でもすばらしい建物として残っておりますが、現在の建物は100年後に残り得るものでありましょうか?時代は変っても真実というものは存在価値を主張する。そんなことを感じて帰って参りました。

幹事報告 濱 和彦幹事 25日のローターアクト地区大会は土橋会員、小林会員、藤森会長、濱幹事で参加致します。27日の諏訪大社ロータリー創立10周年記念式典は森副会長と濱幹事で参加いたします。次年度のクラブ計画書は、原稿に変更のない方もご提出ください。

御礼 ダニエル・ダピュート様 諏訪地方事務所の藤原まゆみ様と一緒に国際交流事業として日本・ブラジル少年サッカー大会を企画いたしましたところ、諏訪ロータリークラブ有志の皆様より15万円ものご援助をいただきました。どうしても御礼を言いたくて伺いました。


卓話 史実に見る上社十五夜相撲と相撲甚句 溝口慎一様 古来、豊作を祈って発祥した相撲は、節会相撲として聖武天皇以来400年間続き、鎌倉時代以降は武術として奨励され、室町期、諏訪円忠による「諏方大明神画詞」には神事相撲としての重要な役割が描かれております。9月15日の上社十五夜相撲は「若者」という組織により守り伝えられる諏訪市無形文化財。何とか正しい形で次の世代へと伝えたいと願います。雷電の像は当時長野3区の代議士達が発起人となり矢崎虎夫氏に依頼して国技館に奉納しようとしたものですが、いざというとき陳列ケースに収まらず、双葉山・柏戸はじめ名だたる力士により上社に除幕されたもの。雷電には寛政6年上諏訪手長神社にて7日間の興行をした記録があります。さて、県内の奉納相撲も化粧回しをつけて相撲甚句を謡うようになりました。皆様のお力であちこち広げていただければ町おこしのひとつになると思います。辻相撲を行っていた声自慢の力士が、お客さんを喜ばせようと始まった相撲甚句。あまりにも広がったので相撲禁止令が出たほどだそうです。上社十五夜相撲で言う名古屋甚句は相撲甚句の古伝来的なもの。「ショモショモ」という見物人の掛声から始まります。「ハ−ァ ドスコイドスコイ」は聴衆のひやかし言葉から転成した掛声。それでは皆さまに上社奥甚句をご披露いたしましょう♪♪♪




慈愛の種を播きましょう


  


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