2.296回例会  2003.12.12(金)  No.2187

司会 宮坂寛副SAA
出席報告 本日87.50% 7名欠席 前回訂正89.29% 6名欠席
ラッキーナンバー No. 31 北澤 晃君
ニコニコボックス 新村良雄君 ここに来る途中、厚い雲の切れ間から放射状に光線が洩れて、所謂「天子の梯子」が豊田あたりを照らしておりました。藤森和敏君 前回欠席しました。出番があったということで朝倉副幹事に感謝して頂きました。濱和彦君 会員の皆様に大変御世話になり感謝しております。北澤 晃君 ラッキーNoに当たって。

会長告知 森幸俊会長 ある情報誌に「県民性・地域性」というタイトルで長野県の県民性・地域性を書いたのがありました。長野県の県民性は、理屈っぽいとか議論し合ってなかなか前へ進めないとか色々書いてありました。ここでは地域性についてお話します。長野県ほど地域性あるいは住民意識が違うところは無いと云われています。これはいつも長野県の歴史を開くときに、そういう云われ方をするわけですが、江戸の末期11藩に分かれており、明治の廃藩置県の時に北信が長野県、松本を中心とした南信が筑摩県と統一されました。明治9年に松本にあった筑摩県が火事で無くなったことによって、長野県に統一されたのが長野県の歴史です。有賀前会長がかつて例会で、松本すずめ、上田カラス、諏訪トンビのお話をされましたのが思い出されます。これぐらい長野県でもそれぞれの地域性あるいは住民の持っている感情が違います。「明治9年に消失により合併された」ということが、長野県のなかなか一緒になれない理由の一つであると解釈いたします。それに重ね合わせて今、丁度諏訪の6市町村が合併ということで大変難しい、胸突き八丁に来ているのが現状です。6市町村のアンケートあるいは、住民投票により様々な結果が出つつあるのではないかと思っています。いろいろな感情や地域性を踏まえながら良い合併をしていただきたい。後に禍根を残すことが無いように、地域の皆様とコンセンサスを得ながら、すばらしい合併が出来ることを望んでいます。

幹事報告 藤森和敏幹事 2004年世界大会の参加希望者が御婦人を含めて18名になりました。集金方法は後日連絡いたします。

年次総会 諏訪RC2003〜2004年の役員が承認されました。
会長 増沢洋太郎君 直前会長 森幸俊君 会長エレクト 五味茂喜君 副会長 北澤晃君 幹事 朝倉英仁君 会計 小出貞之君 理事(社会奉仕)有賀昭彦君 理事(職業奉仕) 折井俊美君 理事(国際奉仕)太田信夫君 SAA 原亙君 副SAA 石城祐吉君 副幹事 河西正一君 監事 上原嘉造君 監事 三澤清司君。

卓話 千松健太郎君 8月に入会させていただいた千松です。昭和34年神戸に生まれ、年齢は44歳です。高校卒業まで神戸におり、両親は健在です。中学・高校の一貫教育での6年間が私の人間形成に多大な影響を与えたと思っています。この学校はキリスト教カトリック系イエズス会の運営で、先生のほとんどが神父です。彼らは独身を貫き、決して見返りを要求せず、海外より布教のために来日し、博愛・奉仕を説く姿に迫力を感じました。たまたま東京の同じ運営母体の大学に入り、海外で働きたいと思い英語を専攻いたしました。家族は妻と中学3年と小学5年の娘の4人です。妻は栃木県足利市の出身で大学時代に知り合いました。家族は練馬区に生活しており、私は単身赴任いたしました。ここで娘が夏休みに諏訪を訪れたときの作文を朗読します。私自身のこと、家族のこと、娘から見た諏訪のことなど、県外の中学生の女子がどんな感じで諏訪を見ているか知って頂きたいと思います。略歴ですが、昭和57年大学を卒業し、旧住友銀行に入社。特に銀行を希望したわけではなく、海外業務がしたいこと、関西系で故郷に近いことで選びましたがまだ一度も関西勤務はありません。昭和62年パリに新しく支店をを作るため転勤しました。ここでの7年弱は20代後半から30代半ばで仕事も充実し、気力体力もありましたが、健康管理の面で妻の2度の出産・入院に苦労しました。見ず知らずの土地で頼れるのは家族だけだと思い家族の絆が深まりました。平成5年本店に戻り、10年間本店営業部で総合商社を担当しました。飛んだり跳ねたりせず長く安定的に資金を供給することが大事な業務であると感じました。平成15年5月より諏訪法人営業部部長に就任いたしましたが、厄介な肩書きでお客さんに肩書きの説明から始めなくてはなりません。支店は個人のお客と事務を担当し、法人営業部は法人のお客を担当します。本部の組織の一貫として、東京のサポート部隊を派遣することも度々あり、皆でお客の情報を共有しています。




慈愛の種を播きましょう


     


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