2.417回例会  2006.7.28(金)  No.2308


司会 森 幸俊SAA
出席報告 本日84.91% 8名欠席 前回訂正94.34% 3名欠席
ラッキーナンバー No. 39 安川英昭君

ニコニコボックス 山崎壮一君 本日12:00より2日間にわたり諏訪の長い夜の第二回が行われます。日ごろ行けない美術館をご家族で回ってみてはいかがですか。小口武男君 中国出張にて連続欠席してしまいました。藤森和敏君 プログラム委員会担当の「お役に立つ卓話」第一弾は小池保二会員にお願いしました。乞うご期待を。藤澤春男君 家はあと数センチのところで床上浸水にならずに済みました。通信設備の被害でご迷惑をおかけしましたが、残すところ湊地区だけとなりました。安川英昭君 ラッキーナンバーに当たって。

会長告知 安川英昭会長 今回の水害・災害は天災ではなく、人災ではないかといわれている。治水・治山にお金を使っていないからです。沢の上に砂防ダムがあるところは災害を受けなかった。砂防堤がなかったところでは土石流が発生している。「脱ダム」宣言という理念だけでは災害が防げなかったということです。「田中県政6年間の検証」という資料によると、県世論調査協会の調査では「県のリーダーとしての田中知事の評価」は評価する38.8%、評価しない51.5%。「県政運営の手法」では評価する21.9%、評価しない57.8%。企業や団体のトップ調査では田中知事不支持率は72%。県職員組合調査では田中知事支持率はわずか3.6%という結果。経済面では県内の成長率は8%も下がっていて全国最下位、県民所得は全国平均以下。赤字の企業は78%もあり二年連続で全国ワースト1。平成16年の製品出荷額は12年に比べて14%も低下している。有効求人倍率も急低下し観光客は4%以上も減っている。県税収入、地方交付税はいずれも20%も減、このままでは長野県は再起不能になるのではないかと心配しています。

幹事報告 折井俊美幹事 新50周年実行委員会の名簿とクラブ計画書の訂正表を配布してあります。先日の会長幹事会で、RCクレジットカードを活用していただきたいと要請がありました。今回の集中豪雨で7人が亡くなり、岡谷RC、エコーRCが100万円、諏訪湖RCも200万円を被災自治体に義捐金として寄付。諏訪RCも緊急理事会でどうするか協議したい。対応は理事会に任せて欲しい。松本RCから寄付5万円とお見舞い状、秦野、安曇野RCからもお見舞い状が届いています。
卓話 小池保二君 今回の豪雨災害で諏訪営業所管内でも18本の電柱が倒壊したり、70条ほどの電線が切れた。現在では岡谷市湊の避難勧告が続いている地区を除いて送電できている。諏訪市大手の床上浸水地区では漏電遮断器が設置されていない住宅もあり、コンセントが水につかると感電する危険があったため強制的に送電をストップした。日本で初めて電気がともったのは128年前の明治11年3月25日。この日は電気記念日。日本で初めて電力会社が設立されたのは120年前の明治19年。県内では明治31年に長野電灯が設立されたのが始まり。諏訪地方では下諏訪の東俣川に発電所を建設して明治30年11月に諏訪電気が設立され、明治33年に落合発電所が建設され、諏訪地方で初めて電気がともった。大正8年には諏訪全域に灯りが広がった。製糸工場における電気動力への転換は照明、揚水などへ進んでいった。山十組では10人が手押しポンプで揚水していたのが、明治41年にモーター揚水に切り替えたところ、一工場では使い切れずにほかの工場に分けて使ったほどの威力を発揮した。電気代も1ヶ月1人分の給料の18円程度だった。大正2年当時の月額電気料は10W45銭(現在の3400円)だった。昭和26年には電気事業の再編成により中部電力を含む9電力体制が発足した。中電には天竜川、大井川、飛騨川水系が割り当てられた。現在は3200万KWの発電能力を持っている。平成12年の電力自由化から4回の電気料金引き下げを実施した。諏訪に電気が灯って1世紀、電気は私たちに豊かな生活と文化をもたらししてくれたと思う。




慈愛の種を播きましょう


      



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