riemblem  International District 2600 諏訪ロータリークラブ週報

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2,731回例会 2013.5.31(金)  No.2,622


司  会 折井俊美SAA
ゲストビジター 該当なし
出席報告 本日74.42% 13名欠席、前回訂正88.64%、前々回訂正83.72%
ラッキーナンバー No.18 山崎壯一君

ニコニコボックス 親睦・クラブ親善委員会 岡村裕司委員長
玉本広人君
5月25日(土)地区ロータリーアクト第36回年次大会が小口会長、三井パストガバナーにもご出席いただき盛大に開催されました。2014〜15年度は諏訪が地区ホストになります。会員増強他いろいろご協力をお願いします。
高橋正司君
先日のゴルフ例会、天候とメンバーにも恵まれ優勝することができました。ありがとうございました。
川村総一朗君
本日、新会員卓話担当させていただきます。よろしくお願いします。
八幡一成君
結婚祝いのお花をいただいて。
山崎壯一君
ラッキーナンバーに当って。

会長告知 小口武男会長
 昨年の12月16日の選挙で自民党が大勝して12月26日に第二次安倍内閣がスタートし、「アベノミクス」と言われ始めましたがスタートしてまだ5か月しか経過していません。その中で急激な円安と株高があり、我々製造業の雰囲気は随分良くなったように感じます。しかし株はまだ乱高下しており予断を許さない状況だと思います。株はこうなる。と分かっていれば売ったり買ったりするのですが、残念ながら分かりません。安岡先生はその「物わかり」について話していますので本日はそれを紹介します。
 我々人間には「知」「情」というものがあります。先生は「どこまでも情の人でなければならない」と言っていますが、「知」や知性という方向に人間は流れやすく、経済が経世済民を離れてしまいます。これが残念な現実のようです。
 我々は知るということを「わかる」と言い、「あれは物わかりの良い男だ」とか「物分りが悪い」といいます。一方「知る」ことは、ものをわかつ事でもあると先生は言っています。赤ん坊の時はすべて全一ですが、だんだん知性が芽生えてくるに従いものを分けるようになります。お父さん、お母さん、兄、妹。自分についても、目、口、鼻とういふうに分かって認識するようになります。これが赤ん坊の成長です。そのことが「ものわかり」すなわち「事割」ということになります。
 すなわち「知」には「ものを分かつ、ことわる」という働きがあるということです。草木でいうと、根から幹が伸び大枝、小枝と別れていきます。これが「ことわり、物わかり」で知性はこれを認識する事です。それは「分かつ」ことに他なりません。
 しかし、根から幹へそして枝葉へ分かれていくうちに次第に根源から遠ざかります。枝葉末節になり生命力が希薄になって真実ではなくなってきます。そして行き詰まります。草木でいうと散りやすくなり折れやすくなるという事です。そのままこの「ことわり」を進めてゆくと今度はだんだん「わからなく」なってゆきます。わかるものがわからなくなるのは不思議です。
 それを救うものに「結ぶ」という働きがあります。それは分かれるのを結び、小枝から大枝に、そして幹、根に帰することです。わかるという働きと結ぶという働きが一緒になり始めて「生」「存在」「実在」というものができると安岡先生は言っております。分かるに従ってだんだん分からなくなるので病的になるようです。ヤマイダレの中に「知」を入れると「痴」になり、「バカ」という字になってしまいます。我々はあまり枝葉末節にならないように気を付けなければならないようです。
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幹事報告 長田司幹事
本日は川村会員の新会員卓話です。よろしくお願いします。

グラブ・フォーラム 新入会員卓話
卓話「私の生まれた昭和44年の出来事」
川村総一朗会員
 卓話テーマに入る前に少し自己紹介をさせていただきます。私は昭和44年8月に諏訪市本町で生まれました。同じ年の有名人には、橋下徹大阪市長や後藤田正純衆議院議員やプロゴルファーの丸山茂樹選手、藤田寛之選手などがいます。プロ野球の(元中日)タイロンウッズと立浪選手は誕生日も一緒です。
 地元の下諏訪向陽高等学校を卒業後、東京で2年間メカトロニクスを勉強し、その後新潟市にある(株)新潟鐵工所で修業をしました。平成5年に帰郷し、今の会社である新産工業で勤め始めました。約3年前より代表取締役を務めさせていただき、現在妻と子供3人と両親と共に諏訪市渋崎に住んでいます。
 わが社は昭和38年5月に諏訪市2丁目にて精密機械、工作機械の販売を目的に父の川村進が個人創業しました。昭和45年には株式会社化し現在に至ります。現在は社員5人体制で主に、工作機械、産業機械、切削工具、測定機器、専用機、環境機器、土木資材などを販売しております。
 私の生まれた昭和44年の1月18日には東大安田講堂攻防戦がありました。そもそも学生運動の起源は中世ドイツにおける大学自治権要求運動が始まり。日本では大正デモクラシーの時代にはじまり、戦後になり盛んになったようです。この事件の背景としては1960年代後半、ベトナム戦争が激化の一途をたどり、また1970年で期限の切れる日米安保の自動延長の阻止、廃棄を目指す動きが左派陣営で起きていた。これは当時盛んだった学生運動によるものです。これに伴い学生によるベトナム反戦運動、第二次安保闘争が活発化していたそうです。それと時を同じくして、高度成長期の中、全国の大学においてベビーブーム世代の大量入学する一方で時に権威主義的で旧態依然とした大学運営がみられました。これに対し学生側は授業料値上げ反対、学園民主化などの主張を唱え全共闘やそれに呼応した新左翼の学生が、時に暴力的な強硬手段に訴えました。学生運動は東京だけでも55の大学がバリケード封鎖等に入ったそうです。その後の安田講堂は20年間にわたり、法学部、文学部の物置として使用され、1989年の改修工事によりきれいになりました。ちなみにこけら落としは2001年(ブラックホールの研究で有名な)スティーブンホーキング氏の来日公演でした。今は学生行事や公開講座に使用されています。
 2月にはボーイング747型機の初飛行がありました。一般庶民の海外旅行の幕開けを作った機体で、現在もマイナーチェンジを繰り返し生産されています。「ジャンボジェット」愛称の由来は19世紀後半にロンドン動物園やサーカスで活躍したアフリカゾウの「ジャンボ」の名前から取られました。当初ボーイング社は鈍くて重いイメージを認めず「スーパーエアーバス」としていたが「エアバス社」と名前がかぶってしまうことになってしまったため、後になりこの愛称を認めるようになりました。この機体は、日本政府専用機、NASAのスペースシャトルの輸送にも使われる。くしくも1985年8月に起きてしまった日航機墜落事故もこの機体でした。450人〜500人乗りのジャンボはその席の多さから当時の市場規模では座席がすべて埋まるほどではなかったそうです。そこで航空会社は「空席多数で飛ばすくらいなら少しくらい運賃を下げても席を埋めたほうが良い」と考えて各種の割引制度を設け集客に励んだようです。その結果、一般庶民でも気軽に国外旅行ができるようになりました。ちなみにこの年の9月6日に新東京国際国際空港(成田)空港が建設開始されています。現在日本では唯一全日空が運航していますが、保有している全5機とも退役させることが決まりました。今年度中には最後の一機が姿を消す計画だそうです。
 3月2日には中ソ国境紛争がありました。アムール川(黒竜江)の支流ウスリー川の中州であるダマンスキー島(珍宝島)の領有権を巡り中ソの間で軍事衝突が発生。同じ共産党独裁国家でありながら、かつて蜜月を誇った中華人民共和国とソビエト連邦の対立が表面化した事件として知られています。その背景としては1950年代後半にフルシチョフ首相による「スターリン批判」以降ソ連と中国の関係が悪化していたことがあるようです。
 3月8日にはイタリアのエトナ火山の噴火がありました。死者は約1万人にのぼったそうです。イタリアには3つの活火山があるが、このエトナ火山はとび抜けて高く、2番目に高いべスヴィオ火山の3倍近い標高があります。ちなみにベスヴィオはポンペイ遺跡などで有名で1880年に山麓から火口まで登山電車(フニクラーレ)が開通した。これを記念して造られた歌が有名なフニクリ・フニクラです。これは世界最古のCMソングとされています。登山電車(フニクラーレ)は1944年の噴火で破壊されてしまった。また、べスヴイオ火山は東京ディズニーシーのプロメテウス火山のモデルになっています。
 4月28日にはシャルル・ドゴール大統領が辞任しました。彼はフランス第5共和制の初代大統領で、その第5共和制は現在も続いています。大統領の権限としては@国会を解散する権限があります。A議会で可決した法案に対し拒否権こそ持たないが、憲法裁判所への申し立てができます。B国会は(国家反逆罪を除き)、大統領に対し弾劾裁判権を持ちません。→実際、シラク元大統領はパリ市長時代の汚職疑惑の訴追から保護されていました。C憲法改正案を直接国民投票にかけられる権限があります。昔は大統領の任期が7年、首相の任期が5年だったため、日本でいう「ねじれ」のような現象がありましたが、現在は大統領任期が5年になり「ねじれ」は発生しにくくなっています。当時、特に左右の異なる指導者が大統領と首相になってしまった時には「コアビタシオン」(日本語で同棲を意味する)と呼んでいました。
 6月には「前年のGNPが世界第2位になった」と発表されました。GDP、GNPともに一国の経済の大きさや国の豊かさを示す指数ですが、日本では一般的にGNPが使用されてきました。その後日本政府は1993年に、経済統合が進む当時の欧州などで各国国内それぞれの国の経済規模を重視する動きを受け日本政府も主要指数をGNPからGDPに変更しました。
 6月12日には日本初原子力船「むつ」の進水式がありました。進水式当日の6月12日には皇太子夫妻(現在の天皇、皇后両陛下)を迎え、東京都江東区にある石川島播磨重工業でおこなわれ、美智子様が銀色の斧で白い綱を切りシャンパンを船首にぶつけ進水を祝うと「むつ」がずるずると動き出し、くすだまが割れ、ハトが舞う中当時の佐藤栄作首相らの拍手で送られたといわれています。前途洋々と思われた「むつ」だったんですが、みなさんご存知の通り5年後の9月の初試験航海の時、青森県沖で放射線漏れ(この船の原子炉は遮蔽設計が不十分で、原子炉運転中に炉内から発生する高速の中性子の一部が漏れ出した)事故を起こして計画が大きく狂ってしまいました。その後1990年10月には原子炉出力100%の公航海を果たしたのですが、すでにこのころ世界的に原子力船の廃船が進んでいて、その後の計画もなくなってしまいました。現在は海洋地球研究船「みらい」として改造され、活躍しています。
 7月14日にはサッカー戦争が起きました。サッカー戦争とは、南米エルサルバドルとホンジュラスの間で起こった戦争で、この両国がサッカーのワールドカップ予選で対戦した時の感情のもつれから起こった戦争のことです。その背景には両国間の国境問題、移民問題、貿易摩擦等の問題があったようです。この戦争の国境問題解決も37年かかりました。ちなみに1930年代のラテンアメリカ諸国では国民の間で人気のサッカーを政権維持に利用していた側面があり、代表チームの不振により政権が崩壊することもあったそうです。このころアルゼンチンとウルグアイが国交断絶に至った事例もあったようです。
 7月20日にはアポロ11号が月面着陸しました。これはアメリカ合衆国のアポロ計画における船長ニール・アームストロングと月面着陸船操縦士エドウィン・オルドリンによるものです。7月20日司令船操縦士マイケル・コリンズが月面軌道上の司令船(コロンビア)で待機する中、2人の乗り込んだ月面着陸船イーグルは司令船から切り離されて午後4時17分に月面着陸をしました。船長のニール・アームストリングはアメリカ海軍の飛行士で大学の教授でもありまして宇宙飛行士になる前には朝鮮戦争での実践にも参加していたそうです。彼が月面で述べた言葉はあまりにも有名です。That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind(これは一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な飛躍である)この言葉は世界中で発信され当時世界で4億5千万人が聞いたとされています。
 10月1日には宇宙開発事業団(NASDA)が発足しています。NASDAとはNational Space Development Agency Of Japan(ナショナル スペース デベロップメント エージェンシー オブ ジャパン)の略です。当時の日本政府が日本における宇宙開発を担う目的で設立されました。もう少し具体的に言うと「平和の目的に限り、人工衛星及び人工衛星打ち上げ用ロケットの開発、打ち上げ及び追跡を総合的、計画的に行い、宇宙の開発及び利用の促進に寄与する」となります。その後NASDAは2003年に航空宇宙技術研究所(NAL)と宇宙科学研究所(ISAS)と統合され現在の独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)になりました。
 10月6日には「すぐやる課」が千葉県松戸市にはじめて設置されました。当時の松戸市は高度成長期の中人口が急増し、その年には23万人に膨れ上がっていたそうです。その増えていく人口に対し道路や下水道の整備が追い付かず各種のひずみが目立つ状況だったようです。そんな中、増加かつ、多様化する市民の声に素早く対応し、同時に行政を市民に身近でわかりやすくというものにしようと設置されたのがすぐやる課です。今までに、スズメ蜂などの駆除20,026件、残土処理20,855件、道路補修19,022件、側溝などの掃除17,023件、動物の死体処理16,970件等の仕事をしているようです。
 11月21日には日米会談が終了しニクソン・佐藤共同声明が発表されました。「沖縄の施政権返還は核抜き、本土並みで1972年とする」とされ、実際に1972年5月15日に沖縄(琉球諸島及び大東諸島含む)の施政権が返還されました。ただ、沖縄返還はされたものの、現在も沖縄本島の約2割は米軍基地で占められています。そして、いまだに、たびたびおこるアメリカ兵による事件が問題となっています。
 12月27日には第32回衆議院議員選挙がありました。初めて12月に行われたことから「師走選挙」とも呼ばれています。解散日は12月2日で「沖縄解散」と呼ばれています。当時の得票率は67,51%でした。現在インターネット投票の是非が話題になっていますが。この選挙では初めての政見放送が行われました。ちなみにテレビで4回、ラジオで2回放送し、NHKと民放でそれぞれ半分受け持ったそうです。この選挙で「社会党」「共産党」は日米安保の自動更新阻止を挙げ70年安保を争点としましたが、結果は自民党の圧勝、社会党の一人負けで終割りました。詳しい結果としては、自民党は追加公認込みで300議席の大台を獲得(前回比プラス20議席)、社民党は90議席獲得(前回比マイナス51議席)、公明党は(前回選挙にて初進出)47議席8前回比プラス22、共産党は14議席と20年ぶりに二けたへ乗せました。結果佐藤栄作政権は続投を決め、翌年の70年に日米安保条約を自動更新することができるようになりました。この選挙で、自民党は当時幹事長だった田中角栄がのちの「田中軍団」を形成し新人議員を大量当選させました。
 色々調べた中でこの年を全体的にみると、私が生まれたこの年は、世界大戦を終え、各国の経済が成長し、人々の生活が大きく変化をした一方で、それまでの社会や政治の矛盾やしわ寄せが噴出した年だったんだとわかりました。特に、いま日本でも問題になっている尖閣、竹島、北方4島などの領土問題は各国が長い時間をかけて解決しているようです。日本も、戦争無しでこの問題を解決するには相当な時間がかかるのではないか?と感じました。また、海外旅行や宇宙開発など、どんどん世界が広がり始めた年だとも感じました。私もそんな年に生まれ今年44歳になります。これまでの先輩の方々が作られてきた社会を踏襲しながらもっと勉強をし、自分の世界を広げていきたいと思います。そして、ロータリアンとして社会に貢献できる人間になっていきたいと思っております。
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私の生まれた昭和44年の出来事
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川村総一朗会員


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